蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

朝の歌

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音楽千夜一夜 第357回&バガテル―そんな私のここだけの話 op.223

 

 

「朝の歌」といえば、まずはいまNHKの朝ドラでやっている「あさが来た」の主題歌でしょうか。

 

 AKB48が歌う「365日の紙飛行機」は、副田高行さんのお洒落でシックなタイトルデザインとあいまって、「あたしなんざあ、もうとりたてて夢も希望もないけれど、今日もまた朝が来てしまった。でもとにかく全国的にアサー!なんやから、谷岡ヤスジみたいになんとか元気にぐあんばっていこうかなあ」という気持ちにさせてくれるようです。

 

 AKB48は、皆さまがよくご存知のように、けっして歌が上手とはいえないやさぐれおねえちゃん集団なのですが、そのやさぐれ風の素人っぽさが、かえって日常の中の朝という時間の到来に、びっくらぽん、自然に寄り添っているような効果をもたらしているのかも知れませんね。

 

 ところで「朝の歌」ということで思い出すのは、私の大好きな詩人、中原中也の大好きな詩「朝の歌」です。注1)

 

  天井に 朱きいろいで
    戸の隙を 洩れ入る光、
  鄙びたる 軍樂の憶ひ
    手にてなす なにごともなし。

 

 という4行で始まるこのソネットは、

 

  ひろごりて たひらかの空、

    土手づたひ きえてゆくかな

  うつくしき さまざまの夢。

 

 という具合に嫋々たる余韻を残しつつ消えていくのですが、この最後の第4連の3行には、冒頭の代々木練兵場の軍樂の物憂い響きではなく、詩人の心の奥底でいつも鳴り響いていたうらがなしい滅びの歌が聞こえてくるようです。注2)

 

 さて私事ながら、私の生家は丹波の下駄屋でしたので、町内の他の家の子供たちと比べて音楽的な環境に恵まれていたとはお世辞にもいえませんでしたが、なぜか祖父が熱心なプロテスタントであったために、小学生の時から強制的に教会に通わせられました。

 

 私はそれが厭で厭でたまらず、その所為で却ってキリスト教に反発を覚えるようになり、現在に至るも無信仰無宗教の哀れな人間ですが、それでも教会で歌わせられる讃美歌の歌詞やオルガンの伴奏が、当時の田舎の少年の音楽心をまったく刺激しなかったと書けば嘘になるでしょう。

 

 例えば讃美歌23番の「来る朝毎に朝日と共に」の出だしを聴くと、さきほどの中原中也の詩の冒頭にも似た、おごそかにして心温まる気持ちに包まれたものでした。注3)

 

 後に成人した私が、LPレコードでモーツアルトのピアノ協奏曲第24番の第2楽章をはじめて聴いたとき、(それは確かクララ・ハスキルというルーマニア生まれの臈長けた女流ピアニストが、65歳で急死する直前に録音した曰くつきの演奏でしたが)、はしなくも思い出したのが、この讃美歌23番の奏楽でした。注4)

 

 楽器もメロディも調性も異なってはいるものの、暗闇から突如一筋の光が地上に現われて、私のようにどうしようもなく愚かな人間にもかすかな希望を与えてくれる、無理に言葉にすると、天使が私を私を見つめながらゆるやかに翼をはばたかせているような、そんな有難い気持ちにしてくれた楽の音でありました。

 

 

注1)中原中也の詩「朝の歌」は講談社文芸文庫吉田 煕生編「中原中也全詩歌集上巻」より引用。

 

注2)中原中也の芸術の記念碑的な出発点となったこのハイドンピアノ曲を思わせる素晴らしい詩は、前掲書吉田 煕生の解説によれば、1926年(昭和元年)に初稿、1928年に定稿が完成し、諸井三郎の作曲で同年5月4日の音楽団体「スルヤ」第2回発表会で長井維理によって歌われた。なお本作が構想された当時、詩人の友人の下宿から陸軍練兵場(現在の代々木公園)の演習の「軍樂」が聞こえたことについては大岡昇平の証言がある。

 

注3)讃美歌23番(あるいは27番、あるいは210番)の「来る朝毎に朝日と共に」の第1番の歌詞は「来る朝毎に朝日と共に 神の光を心に受けて 愛の御旨を新たに悟る」。作詞は英国国教会司祭のジョン・キンブル、作詞は独教会音楽家のコンラート・コッヒャーと伝えられる。

 

注4)クララ・ハスキル独奏、イーゴリ・マルケヴィッチ指揮コンセール・ラムルー管弦楽団(2011年まで佐渡裕首席指揮者を務めた)のモーツアルトのピアノ協奏曲24番は、録音は1960年と古いが、昔からフィリップス(最近デッカに買収された)の名曲の名演奏盤として夙に知られている。(20番も併録)

 

 

 真黒な写真を指差してほれここにオオウナギが写っていますと叫ぶ人 蝶人

 

タヴィアーニ兄弟の映画2本をみる

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闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.980,981

 

 

○パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ監督の「父/パードレ・パドローネ」をみて

 

貧しくて頑固者の父親と息子の相克を描く独特の語り口をもったイタリア映画である。

 

モザールのフルート協奏曲の第2楽章が鳴っているラジオを頑固親父が水槽に沈めてしまうと息子がその旋律を口笛で吹くシーンが印象的だった。

 

いろいろあったが最後息子は功なり遂げて言語学者になるが、こういう親子鷹風の映画は昔からかなり多い。

 

 

○パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ監督の「サン・ロレンツォの夜」をみて

 

 第2次大戦終結まぢかのイタリアの田舎で、米軍の到来を待ち望むグループとムソリーニ支持の黒シャツのファシストたちが殺し合うシーンが真に迫って物凄い。

 

同じ村の住民同士が偶発戦で銃で撃ち合うのだが、そのあっけない殺人とあっけない死がいかにもそうであったろうと思われるリアリテイで淡々と描かれ、それゆえに圧倒される。

 

NYでの新生活を夢見ながら死んでいく少女の幻影も哀切極まりない。

 

 

   愛想笑いする力さえ今日は無く仏頂面で蹲ってる 蝶人

 

 

お正月の歌~これでも詩かよ第166番

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ある晴れた日に 第360回

 

 

西暦二〇一六年一月二日

鎌倉の在に親戚十七名が勢ぞろい

そのうち五人が小さな子供

 

うららかな光のどけきお庭の中で

臼と杵とでぺったんぺったんお餅付き

大人も子供もお餅付き

 

つきたてお餅をちょんぎって

あんころ餅ときな粉が出来る

黒胡麻、胡桃、大根おろしもどんどん出来る

 

みんなで作ったいろんなお餅を

みんなで食べる どんどん食べる

おしいいなあ 美味いなあ

 

あっという間に、お腹がいっぱい

今度は近所の明王院にお参りだあ

それからみんなで、独楽を回そう

 

大きな独楽を、ひもで回そう

でも、なかなかうまく回らない

出来ない人には若い住職さんが親切に教えてくれます

 

そのうちに独楽回しに飽きてしまったユウちゃんが

昔ながらの井戸とポンプに目をつけて

レンちゃんと一緒にピストンを押しはじめた

 

ガッタン、ガッタン、ジャア、ジャア、ジャア

ガッタン、ガッタン、ジャア、ジャア、ジャア

たちまち流れる水、水、水 水、水、水

 

それ気付いたカナちゃんも

それに気付いたノンちゃん、アルちゃんも

子供全員ポンプに群がり

 

ガッタン、ガッタン、ジャア、ジャア、ジャア

ガッタン、ガッタン、ジャア、ジャア、ジャア

たちまち流れる水、水、水 水、水、水

 

しばらくするとユウちゃんが

「水、水、水屋でーす。水、水、水はいらんかねえ」

即席水売りになりました

 

またしばらくするとレンちゃんが、

「水屋さん、もっとこっちに流してよ

もうちょっとで地面に象さんができるぞう」

 

ガッタン、ガッタン、ジャア、ジャア、ジャア

ガッタン、ガッタン、ジャア、ジャア、ジャア

たちまち出来たよ、お水の象さん

 

いつの間にやらほかの子供たちも加わって

ワアワアキャアキャア正月早々出初め式

お気の毒に住職さんも逃げ出しちゃった

 

これではいかん、いかん、まずい、まずい

このままでは名跡明王院が水浸し。

ここらで水入りレフリーストップ

 

悪童五名と現場を離脱

峠をめざして出発だあ!

太刀洗方面へ転進だあ!

 

意気揚々と進軍してると

あれに見ゆるは次郎じゃないか

愛犬太郎を亡くしたおばさんが、四年前から飼っている

 

次郎は震災地からやってきた可愛い柴犬

名付け親の私を見つけて

声にはならない声でWangWang吠えてる

 

私が撫でると、子供も撫でる

次郎はうっとり目を閉じる

「次郎、あったかいなあ」とユウちゃんがいう

 

両手をペロペロ舐められたレンちゃんは

「マコトさん、次郎がぼくの手を舐めてくれたよ」

と、うれしそう あ、うれしそう

 

西暦二〇一六年一月二日の午後三時

お正月の陽が、ようやく傾く

どんどん どんどん 陽が落ちる

 

エイ エイ オオ! 

エイ エイ オオ!

それゆけガキんちょ太刀洗

 

エイ エイ オオ! 

エイ エイ オオ! 

朝夷奈峠の頂上へ

 

 

  あくる日もそのあくる日も夢を見る私は夢見るシャンソン人形 蝶人

 

MEMORIES盤シューリヒト指揮の「モーツアルト交響曲・協奏曲集」を聴いて

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音楽千夜一夜 第356回

 

カール・シューリヒトがウイーンフィル、シュツットゥガルト放響、ドレスデンフィル、スイスイタリア語放響を振ったモザールの交響曲とピアノ協奏曲の5枚組です。

 

その特徴はすべてがライヴで収録されていることで、多くの指揮者と同様スタジオよりもライヴで燃えるシューリヒトがその本領を遺憾なく発揮しているようです。

 

交響曲40番はイタリアのルガーノ、41番はザルツブルク音楽祭での生演奏ですが、前者のスイス・イタリア放響が後者のウイーンフィルに勝るとも劣らぬ力演を繰り広げているのは特に注目されます。どちらもうわべを全く飾らないエネルギッシュな演奏で好感が持てる。ここには「むきだしのモザール」があります。

 

ピアノ協奏曲は9番、17番、19番、22番、27番の4種ですが、19番は同じシュツットゥガルト放響の劇伴で有名なクララ・ハスキルとカール・シーマンという聞いたこともない名前のピアニストによる2つの独奏の聴き比べを楽しむこともできます。

 

やたら独奏者のご意見を拝聴したり、楽員に卑屈な態度を示すいまどきの「民主的な」指揮者と違って、交響曲と同様シューリヒトは独奏者の機嫌伺いなど一切せずに自分のテンポ、自分の緩急でどんどんオケを引っ張りますが、マエストロはそれでいいのです。

 

  夏に買った10匹のメダカが12月に2匹になっていた生存率2割 蝶人

 

ブライアン・デ・パルマ監督の「ファントム・オブ・パラダイス」をみて

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闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.979

 

 

1974年アメリカ製作の素晴らしいカルトムービーずら。

 

確かに「オペラの怪人」などの影響を受けた“突然ミュージカル映画”ではあるが、変態的監督のメガフォンの指揮下、怪優による相次ぐ怪演が、冒頭から末尾までこの世を遠く離れたキャメラアイが、我らを異様な時空の世界、異常なロッケンロールの世界へ連れ去ってゆく。

 

 こういう見ごたえのある映画を、デ・パルマまた作ってくれないかな。

 

 

 市の花に野菊を選ぶゆかしさよ神奈川県の大和しうるわし 蝶人

「谷崎潤一郎全集第4巻」を読んで

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照る日曇る日第842回

 

 この巻では「鬼の面」「人魚の嘆き」「異端者の悲しみ」などちょうど夏目漱石が「明暗」を書きながら斃れた時期の作品を収めていますが、当たり前のことながら、「即天去私」などと言われた最晩年のそれと比べてなんとその作風が違うことよと驚かずにはいれれません。

 

 「人魚の嘆き」は泉鏡花の向こうを張ったような谷崎独特の幻想譚ですが、「鬼の面」とか「異端者の悲しみ」の世界はお得意の「悪魔主義」などとは全然異なります。

 

 これらは日本橋の貧しい町家の暗がりで呻吟していた著者の青春時代の暗くて絶望的な生活と内面をリアルに描いた一種の暗黒社会小説ないし波乱万丈のシュトルムウントドランク自伝でして、松原岩五郎の「最暗黒の東京」と社会主義的リアリズムを足して2で割ったような、おどろおどろ陰々滅滅の私小説なのです。

 

 ところがまったき非政治的小説であるにもかかわらず、これに内務省警保局が再三にわたってクレームをつけているから恐ろしい。後の「源氏物語」や「細雪」弾圧事件より遥か以前の話です。

 

 恐らくは参議大久保利通の考えで1876年明治9年に内務省の内局として誕生したこの組織は、全国に諜報ネットワークを敷いて労働運動や反政府運動を取り締まったのですが、この時期、谷崎のどうということのない作品についても徹底的にダメを出し、現行憲法が保障する表現の自由をふみにじり、恐るべき言論弾圧を行っていたのです。

 

 ちなみに「異端者の悲しみ」の「はしがき」を読むと、「此の原稿の発表に先だち繁雑なる公務の余暇にわざわざ検閲の労を取られ、加ふるに精細なる評論までも書き添えて下すつた永田警保局長の好意を、予は深く深く感謝するものである」と書かれているのですが、この時代に警察権力の触手がここまで及び、当時の若手流行作家が、ここまで無抵抗にその権威と圧制に奴隷のように屈服している姿には慄然たらざるをえません。

 

 美女のみならず権力者の前に額ずきて膝を突きたり谷崎潤一郎 蝶人

 

 

小川洋子著「琥珀のまたたき」を読んで

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照る日曇る日第841回

 

恐ろしい悪夢と珠玉のファンタジーが表裏一体になった長い散文詩のような、不気味でリアルなグリムの童話のような、これまで誰も夢見ることがなかった比類なく美しい夢のような、実際に母親と3人のきょうだいの身の上にどこかの国で起こった人知れぬ悲劇のドキュメントのような、科学と芸術が結婚した披露宴のような、1枚のページをめくって閉じるその瞬間に姿を現す小さな小さな妖精のような、あらゆる物語の優しい母親のような、この世にありそうで、なさそうで、やっぱりありそうなお伽噺のような、読むほうはたやすいけれど語り手の方はすごく大変そうな、森の中を光と風と人間と動物たちが通り過ぎる、そんな小説でした。まる。

 

西暦は2016年平成は28年か また1年かけて新しき年号に馴染んでゆくべし 蝶人