蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

文学部スロープ下にて想える


遥かな昔、遠い所で第11回&勝手に建築観光18回&♪ある晴れた日に10


穴八幡の丘を下れば文学部である。ところがいつの間にか文学部はもっと右側に移転したらしくここは大学院の看板がかかっていた。

かつてこのスロープの上に私たちが張り巡らしたバリケードがあり、バリケードの向こうに教室や生協や革マルが支配する自治会があり、このスロープの下には私たちの小さな部室があった。

部室はその大半が反革マル勢力の巣窟であったが、ミュージカル研究会などの寄り合いもあった。今から思えば噴飯モノであるが、私はこんな軽佻浮薄なプチブルジョワ的な輩はすべからく物理的に粉砕しなければならぬと半分本気で思っていたのである。

私はいつのまにか「03」という部室に出入りするようになり、遅まきながらマルエンだのレーニンだのを読んだ。気分はさながらダントンだった。

「大胆に、大胆に、なおも大胆に!」であった。

そうして無為で怠惰な日常を自らの手で断ち切り、あわよくば全世界を獲得せんと荒唐無稽の夢を白昼に見ながら、疾風度怒涛の日々に陶酔することになったのであるよ。

そんな次第で学校の授業には出なかった。

いや一度くらいは出たことがあった。それはHという教師のフランス語視聴覚の第1回の授業であった。

米国の大統領にも、当時流行っていた漫画の「イヤミ」にも似た顔をした新帰朝者のこの小男は、私たち新入生に向かって開口一番

「ここは日本ではありましぇーん。ここはTOKIOではありましぇーん。ここはフランスのパリなんざんす」

と言ったので、私はそれこそ「マジかよ」、と驚き呆れて以後授業放棄したのであった。
そうして、それ以来彼の言動は、文字通り私にとっての反面教師となった。



あれほどの美女をたちまち洗脳すされど革マルは醜女製造機なりき
松井照井高木天羽が書ける立て看の赤は彼らが血潮の滴り
鶴巻の安アパートの六畳間シーツを撃ちしわたしの精液