蝶人戯画録

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河野多恵子の「臍の緒は妙薬」を読む


降っても照っても第32回

クラシック音楽の指揮も、純文学も、老境に入って死期が迫れば迫るほどその芸術表現に凄みと滋味が出るようだ。

河野多恵子による本作も、まさしくその典型である。全体的に著者は耄碌しかかっているが、それが武者小路実篤とはひとあじも二味も違った絶妙のボケ加減になっていて、賛嘆おくあたわざる風韻を醸し出している。

例えばデアル体とデスマス体の平気な混在については学ぶところ大であった。

最初の「月光の曲」では、国定の国語読本の引用で楽聖ヴェートーヴェンが登場して、盲目の少女のために即興でその曲を弾き始めるところが素晴らしくて、(かの千の風なんかを読み聞きしてもなんの感銘も受けなかったこのニルアドミラルの私が)思わず涙腺が緩むのを覚えた。

余談ながら、戦前の教科書は誰が書いたかかなりの名文で、われら帝国の小国民はここから国民文学精神を体得したのだった。

例えば人口に膾炙した
サイタ サイタ サクラ ガ サイタ
    コイ コイ シロ コイ
    ススメ ススメ ヘイタイ ススメ

この文章はなかなか素敵な日本語だ。見事に韻を踏んでいる。知的に過ぎる谷川俊太郎には書けない無意識の民族詩だ。

「星辰」は占いの話であるが、最後の1行が圧倒的な読後感を生み、またはじめに戻って読み直す仕儀に立ち至る。これぞ短編小説の極意である。

3作目の「魔」から相当不気味なん世界に突入する。コンスターチで生まれざりし子の彫刻を作るとは! 

そうして最後の表題作では、著者の尋常ならざるへその緒への執着!があきらかにされる。

最後の文章はこうである。
「そして……。だんだん怖い女になりつつある」

自分でもどうしようもない怖い人間に、河野多恵子はどんどんなって行く、らしいのである。