蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ある丹波の老人の話(36)


「第6話弟の更正 第4回」

明治44年の退営後、私の弟は福知山の長町に家を買い嫁ももらって、なかなか盛大にメリヤス雑貨の卸売問屋をやっておりました。しかし、その資金をどうしたもんかは私にもようわかりまへん。

その頃の私の家は相変わらず貧乏だったはずなのに、父はトコトンまで貧乏するかと思うと、不意にまたもうけて盛り返し、七転び八起きしたもんですから、あるいは調子のよいときに弟に相当の資金を与えたのかもしれまへん。

ところが弟は女房運が悪く、はじめの嫁は離縁し、二度目のの嫁には病死され、それに腐ってひどい道楽者になり、芸者の総揚げなどという分不相応のお大尽遊びなどをやってとうとう福知山で食いつぶしてしまいました。

それから京都へ出て、西陣の松尾という大きなメリヤス雑貨問屋の番頭に住み込み、そこで成績を上げて主家に信頼され、間もなく自立しておなじ商売の店を持ち、なかなかいいところまでやっておったんですが、またもや酒色に身を持ち崩し、手形の不渡りなどでたびたび窮地に陥り、再三私のところへ無心にきよりました。

この弟には私には内緒で妻がだいぶ貢いだもんどした。結局京都の店は持ちきれずに東京へ逃げた弟は、ここでもひところはいちおう成功しておったようですが、あの大正十二年の大震災で焼け出され、一時は人力車夫までやったそうです。