蝶人戯画録

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亮朝院


遥かな昔、遠い所で第17回&勝手に建築観光24回

私は早稲田界隈から次第に遠ざかりつつある。
ここは最初に訪れた中原中也の愛の巣から遠からぬ距離にある亮朝院である。江戸時代には有名であったが、この節はほとんど知られていない日蓮宗の古刹である。

創建者の日暉上人は、身延山の奥の院にあたる七面山で荒行を修めた後、現在の戸山町付近に七面尊像をまつり、明暦元年(1655年)には将軍家の祈祷所となったが、寛文11年(1671年)、境内が尾張家の下屋敷となったため現在地に堂塔を移し、文化文政期には「江戸名所図会」に描かれているような大規模な寺となったという。

正面の七面堂は当時のもので、「高田の七面堂」や門の色から「赤門さん」とも呼ばれている。七面堂を護るようにして立つ『金剛力士像』一対(区指定文化財)は、宝暦2年(1752年)作の珍しい石造りで迫力がある。中也と泰子も一緒に眺めたかも知れぬ。