蝶人戯画録

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アア伝統の松竹映画市川昆監督の「映画俳優」を観る


降っても照っても第44回

午後からはまたしても紺碧海岸に遊泳し、夕べには古式豊かに御霊の迎え火を執り行ったのであるが、夜寝かれぬままに新藤兼人原作、市川昆監督、吉永小百合主演の「映画俳優」という映画を観るともなく見ていて、成程これは名優田中絹代溝口健二監督を題材にしたお話であるかと分かったけれど、永遠の大根役者である吉永小百合や溝口を演じるガッツ菅原文太や脇役の森光子、石坂浩二渡辺徹などが陸続と登場して松竹と日本映画の黄金時代のなつかしき思い出を川の流れのようにとうとうと描き流すその手法はさながら蒲田時代を扱った山田洋次の「キネマの天地」を再現するようなクソリアリズムの再現であり、そういえばこの映画にも生真面目な中井貴一が出演しており、一般的に生真面目が悪いというのではないけれど、日本映画の大道がいぜんとして事実を事実としてありのままに描くことであり、映画製作のありようと観衆への感興伝達の手法としてはそれしかないと頭から決め込んでしまうやり口、猫の本質を描くには猫を映し出しさえsればよいとする手法にはは最初から限界があって、そのことは本作で最後に取り上げられている溝口の「西鶴一代女」の感動的なシーンの再現においても変わることがなく、しかしそこはそれさすがに才人市川昆だけにワンカット、ワンカットの緊張に富んだ日本的「間」を演出することに力を尽くし、最後の最後の突然のカットアウトにおいて全編のクソリアリズムが一種の象徴に化すという離れ業を試み、在来の凡庸なる邦画監督とは鋭い一線を画して只者にあらざる片鱗を示したが時既に遅く、田中vs溝口の男と女のドラマツルギーのつばぜり合いの愛欲と争闘の本質にはたったの一指も触れることなく全編は唐突に終了したのであった。