蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

♪バガテルop26


戦後62年。色々な問題が山積しているにもかかわらず、我々が他国との戦争に巻き込まれずにすみ、こうして表面は平和な日常を享受していることは、それ自体が奇跡的であり素晴らしいことである。

それにしても今日は終戦記念日ではなく、敗戦記念日である。
戦争は天変地異や台風ではない。わが臣民は過ぐる大戦に無関心をよそおったのではなく、一億火の玉となって積極的にアンガージュしたのだ。

物事の順序からいえば、中国や欧米諸国がまずわが帝国の領土を侵略したのではなく、われわれ日本人が天皇も官民も一体となって主体的・意図的に自己責任で他国を侵略して大きな惨禍を与えたのである。
わが国が勝手に他国に殴り込みをかけ、植民地をつくり、自国民を送り込み、その安全が危殆に瀕すると、自衛という口実のもとで軍隊を送り込み、さらに戦争を拡大していったのだ。その責任はわが臣民自身がきちんと取るべきであった。

国家の本質は市民の幻想であり、国家よりも大切なのは市民の自由意志なので、国家は市民のコンビニエンスのために奉仕しなければならない。美しい國などは無用の長物で、大論・巨論・虚論を販売しない安直近な小さなコンビニ国家こそが、われら臣民の理想なのである。

天下国家商品を販売することは国家の勝手であるが、それ自体が論理矛盾なので、これは憲法ブランドといえども例外ではない。現に私たちは憲法なぞ読んだこともなく、毎日平気で破っているではないか。
国家が唱える「公」は常に形骸化されている。むしろ今を生きる私たちにとっての「公」の実存(在り様)が大事であろう。

それにしてもわれわれは身の程も知らずに世界を相手に大戦争を戦い、2000万人の存在を与え、300万人の損害を受けた。その畏れ多さを反省するためには62年はまだまだ短すぎる。このまま謙虚な姿勢でなお100年河清を待つべし。
そのうちに世界も、頼みの人間界も滅びるだろう。