蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ある丹波の老人の話(44)


第七話 ネクタイ製造その5

まことに小林さんらしい、パリッとしたご挨拶でありました。

それから私の会社と阪急との間にお互い誠意を尽くした取引が始まりました。それは好いのですが、私は小林さんに首を切られた仕入れ係が気の毒でたまらん。その3人を私の店の売込み係に採用したいからとゆうて、また小林さんに頼むと、就職難時代ではあるし3人とも大喜びで来てくれました。
2人は慶応、もう1人は神戸商大の出身の優秀な青年で、とてもよく働いてくれました。

まもなく阪急のネクタイは安くて品質がいい、という評判が立つようになり、私の会社の製品は他社の製品を圧倒して飛ぶように売れるようになりますと、早くも大丸が2度目の注文を寄越しました。

それから郄島屋、三越、そごう、丸物に納品し、東京では綾部出身の元三越重役松田正臣氏の斡旋で三越に入れ、松坂屋、伊勢丹、白木屋(後の東急)その他岡山、広島の大きな百貨店とも取引し、多くはその店の株も持たされて相互の親善関係を結びました。

製品はドンドン売れ、店は繁盛しました。そこで私は一歩を進めて輸出を計画し、横浜、神戸で外商目当ての見本市を開き、上海の西田操商会を支店同様にして売り込みましたが、これは実際は上海で米国製品に化けて売られたもので、あまり名誉なことではありまへんでした。