蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ある丹波の老人の話(45)


第七話 ネクタイ製造最終回

ネクタイの生命は柄にあります。これで他店にヒケを取ってはならん、と私は京都高等工芸出の意匠図案係三人に欧米の流行を参考にするようにと指示して研究させました。

この頃、私は郡是でスンプという機械が発明されたという耳よりな情報に接しました。これは顕微鏡のプレパラートと同じようなものをきわめて簡単に、しかも即座に作れるというのです。

早速動植物の色々な部分を拡大して眺めてみますと、さすがに神の巧みは人間の工夫に勝り、千差万別の意匠をそこから得ることができ、ネクタイの柄、模様、デザインの世界に一大新機軸を開くことができたんでした。

東洋ネクタイ製織所の活動は、戦前のわが国の産業飛躍に小粒ながらも貴重な役割を担ったと自負しておりますが、やがて日支事変となり、それが太平洋戦争に突入する頃には、洋服も廃れて国民服に変わり、ネクタイはぜいたく品としてさっぱり売れなくなってしまいました。

昭和18年には強制疎開で工場はつぶされ、機械は金属回収で取り上げられてしもうたんで、東洋ネクタイ製織所はとうとう解散のやむなきにいたりました。

やがて敗戦となり、私は今度は趣を変えて、家内工業の小工場一〇余個所に織機数十台を分置し、別に加工工場を置いて、起業当初の原点に還り兄弟二人だけの会社にしました。そして前に述べたように弟の死後は長男がその後を継いで今日におよび、戦前ほどの華やかさはありまへんが、まずもって堅実な経営を続けております。