蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ある丹波の老人の話(48)


第8話 思い出話3

それから昭和15年に上海に行ったときのことです。

私はホテルから外出しての帰り道、街の見物をしようと思い、地図を買い、それを頼りに電車が走っている大通りから外れてとある横道に入っていきました。

ちょうど夕刻で中国人たちはみんな軒下に集まってにぎやかに食事しているのをものめずらしく眺めながら歩いているうちに、どんどん日が暮れかけました。

そのうちに雨が降りはじめたものですから、元の電車道に引き返そうとしたんでしたが、どこをどう迷ったものか見たこともない河にぶつかってしまいました。

地図を見ても皆目見当がつかず、雨はますます激しくなります。中国人が食事をしている軒下は通れないし、ずぶぬれで街をあちこち歩きまわりました。

しゃあけんどどこをどう歩いても大通りにはでまへん。どの道を行っても川に行き当たるばかりです。道を尋ねようにも言葉の通じない中国人ばかりでどうにもなりまへん。私はますますいちらだち、ますますあわてました。

ふと通り合わせた人力車夫に指を輪にして「お金はいくらでも出すから乗せてくれ」というつもりを身振り手まねで示して乗せてもらいました。幌があるから濡れないだけでも助かります。