蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ある丹波の老人の話(50)最終回


こうして幌付きの人力車に乗っているうちになんとかなるだろう、と思っておりましたが、そのうちに車夫がこの得体の知れない日本人をもてあまして「降りろ」と要求しはじめました。

私は財布からお金をつまみだして、「コレだけやるからもっと乗せろ」というたんですが、車夫は正直に20銭だけ受け取って、私を引きずり降ろしてしまいよりました。

私は途方に暮れてもう歩く元気もありまへん。しかしそのときやっと気づいて私はその場にたたずんで一生懸命神に救いを求めて祈りました。

するとどうでしょう。「その道をまっすぐ行け」という神のお告げを感じたのです。私はようやく元気を取り戻して歩きはじめました。

しばらく行くと兵隊らしき者に出会いました。兵隊は私の姿を認めるや否や銃を構えて「止まれ!」と大声で叫びました。よく見ると日本の兵隊です。
そこで訳を話すと大いに同情してくれて、電車通りに出る道を教えてもらい、無事にホテルまで辿り着くことができたんでした。

前にお話した難船の場合と同じで、これこそは私は子供のときから持ち続けた「祈れよ、さらば救われん」の実証でした。私はこれまで足掛け70年の生涯を、この恩寵の中に生きてきたことを微塵も疑ってはおりまへん。             終


――明治18年2月22日、丹波の小さな盆地に生まれたこの老人は、その晩年はホテルなどに紅い表紙のギデオン協会の聖書を贈呈することに情熱を注いでいたが、昭和37年6月21日、大津びわこホテルにおいて、信徒会の席上自分の抱負を語りつつ「イエス、キリストは………」という言葉を最後に倒れ、天に召された。