蝶人戯画録

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高浜虚子旧居を訪ねて


茫洋物見遊山記第68回&鎌倉ちょっと不思議な物語第248回&勝手に建築観光第44回&茫洋広告戯評第15回



若き日の芥川龍之介の下宿からほどちかいところになんと高浜虚子の旧居がひっそりとたっていました。虚子の死後は次女の星野立子さんが住んでいたようですが、その後は人手に渡って現在に至っているようです。すぐ傍に江の電が走っているのですが、その音がやむとまた秋の日の静寂に包まれてしまいます。

相当に古い木造家屋の前にはかなり広い庭があって、一輪の紅い薔薇が咲き残り、他にもさまざまな花が植えられていましたが、私は隅っこに小さな花弁をつけていたホトトギスに目を奪われました。

虚子が正岡子規の推挽で俳誌「ホトトギス」を出したのは明治30年のことでしたが、その「ホトトギス」と子規ゆかりの杜鵑草がこの庭にあるのは当然と言えば当然とはいえ、いったい誰が植えたのだろう、もしかして虚子が手ずから植えたのではないだろうかと思って、私はしばらく生垣の間からじっと眺めておりました。

庭の外と狭い路の間には「高浜虚子旧居」の小さな石碑と「浜音の由比ヶ浜より初電車」と立子の書で刻んだ虚子の句碑がうずくまっていました。これなどは例の「花鳥風詠」をうたい文句にした偉大なる俳人のいかにも凡庸な作品ですが、毎朝江の電の由比ヶ浜駅から鎌倉に出て、横須賀線で東京駅の近所の丸ビルになった編集所まで通っていた虚子の几帳面な性格を窺わせるには充分です。

私は時折丸ビルのその「ホトトギス」事務所を用もないのに尋ねては明治の俳人の面影を慕っていたのですが、それにしても、(と話は飛びますが)、その立派なビルジングを耐震性がどうたらこうたらと抜かして1995年に一夜にして倒壊させ、下らないコンクリートの残骸ビルを再建した三菱不動産は許せません。

あまつさえ彼らはてめえがぶっこわした歴史ある建築物の土台となった米国産パイン材をば社長が登場する広告に使って、そのまだまだ使用できる頑丈さを誇示していますが、それならなおさら巨大な犬小屋の新丸ビルなんぞ必要はなかったのではないでしょうか。

「一丁倫敦」を模したジョサイア・コンドル設計の三菱一号館を1968年にさっさと解体しておいて、世間の風潮が歴史や回顧や環境保全の方向にむかうと、突如美術館として再建したよなどといばっている会社は、所詮文化を語る資格のない金もうけだけの土建屋であり、亡くなった虚子も草葉の陰でよよと泣いていることでしょう。



江の電や虚子邸で咲くホトトギス 蝶人