蝶人戯画録

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クリスチャン・デュゲイ監督の「ココ・シャネル」を見て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.170&ふぁっちょん幻論第65回

 孤児院、修道院で育った彼女が悪戦苦闘しながらデザイナーとして女性として自立し、15年間のブランクを経て戦後初のコレクションの失敗にもめげず2回目のショウで見事カムバックし、87歳で亡くなるまで斯界の大御所として君臨したというサクセスストーリーを、彼女の運命の恋の哀しい結末と共に叙情的に描いている。

シャネルは帽子や服飾デザインについて抜群の感性を持ち、ファッションの歴史に偉大な実績を残したことは疑いのない事実で、紳士物の素材や意匠を婦人物に持ち込んで価値の転倒を敢行し、虚飾を排したシンプルな色柄シルエットで新しいワーキングウーマンの美学を創造したことは、この映画でもちゃんと描かれている。
とりわけドーヴィルのショップで隣の店のポール・ポワレに嫌味を言われて反撃するところは、事実かどうか不明だが面白かった。

しかしこの映画ではそういう陽のあたる部分だけを描いて第二次大戦中に彼女がナチの将校の愛人となって(いわゆる「コラボ」=対独協力者)として民衆と故国を裏切ったことには一言も触れていないのが気になる。じっさい彼女の戦後初のショウにプレスが猛反発したのは、その作品の内容ではなく、彼女の汚れた処世に対する敵意と反感からだったと思われる。
 
さらに重箱の隅をつつくようだが、この映画に出てくる「大成功した2回目のショウの作品」のひどいこと。シャネルのトレードマークのシンプルさのかけらもない重厚長大な修飾過多のデザインに、どうして万雷の拍手が浴びせられたのか理解に苦しむ。

なお若き日のシャネルをバルボラ・ボブローヴァ、老齢のそれをシャーリー・マクレーンが演じているが、どちらもミスキャストのように思えてならない。


愛のため生き抜くためにはファシストとも寝てしまうあっぱれシャネルの心意気 蝶人