蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

是枝裕和監督の「誰も知らない」を見て


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.172


両親が離婚して彼らが扶養を放棄した子供たちはそれだけでとても不幸だ。そんな悲劇は世界中どこにでもあるだろう。とりわけアフリカやアジアの途上国では。と思ったら、富裕国であるはずの日本の首都圏でも実際にごろごろ転がっているのだった。

そもそもこんな親たちに子供を持つ資格などなかったのだが、できてしまったことは仕方がない。人間として低級で無責任で恒産もなく、そのくせ自己中な幸福追求意欲だけは人並み以上にたぎらせる親たちをあてにせず、子供たちはそれでも生きていかねばならぬ。大人や世間や警察や社会福祉団体や親切な隣人や篤志家からの温かい支援をあてにせずなんとか血路を切り拓こうとする彼らの悲惨さと健気さが見る者の心を圧倒する。

もちろん犠牲者はでてしまうわけだが、それでも社会のセーフティネットワークに依存せず、落ちこぼれた最底辺層の子供たちが自立して逞しく生き抜こうとするラストシーンは、希望のない世の中へのなにがしかの希望の象徴のようにまぶしく光り輝いて見えたのである。

けれども、カンヌの映画祭で主演男優賞をもらった主役の少年が俳優修業をめざすドキュメンタリーを最近見たが、演技力ではなく「素材としての少年」の存在感だけをあまりにも過大に評価された人物が「ただの青年」でしかない自分と格闘している姿を正視できなかった。

年の瀬や我に仕事を与え給え妻と子供を喰わせるために 蝶人