蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

フレッド・ジンネマン監督の「真昼の決闘」を見て


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.177

これはやはりゲーリー・クーパーが熱演する1952年製作の「ハイヌーン」です。

1939年製作の「ボー・ジェスト」では哀れ砂漠の堡塁で集中砲火の餌食になってしまったクーパーでしたが、本作ではやはり孤立無援の保安官ながら、ならず者の無法と暴力の脅威に沈黙する善良な市民の協力なしに4人の敵を倒し、(うち1名は新妻グレイス・ケリーがやっつけます)この絶体絶命の窮地を辛うじて切り抜けるのです。

冒頭いきなりあの有名なディミトリ・ティオムキン作曲の主題家が鳴りわたり、その後も折に触れて劇伴されるのはいま見ると煩い限りですが、初めて劇場で見物したときには地平線の彼方からやってくる正午到着の列車ともども興奮したものです。

何年も市民のために貢献し、多くの悪漢どもを牢屋に送り込んできた功労者だというのに、いざ本当の危機がやって来ると無二の親友さえも助けようとはしない。正義やら法律なんかよりおいらの命と町の平和がよっぽど大事だ、というわけです。

結婚したての妻にもそっぽを向かれ、こんなはずではなかったと冷や汗たらたらのクーパーの焦りと苦しみは、満更私たちの身に覚えのないものではありませんし、こういう乗るかそるか、生きるか死ぬか、男や女の一分が立つか立たぬかという非常事態はこれからも頻々と起こるに違いありません。

そうして結局、人世なんて、どうせ死ぬならてんで恰好よく死なう! 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ!という教訓がさすらいの荒野にも残されたわけでした。


男一匹金玉二つてんでカッコよく死んでやろうじゃん 蝶人