蝶人戯画録

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森まゆみ著「千駄木の漱石」を読んで

kawaiimuku2012-12-09


照る日曇る日第552回

漱石が49歳の若さで亡くなって1世紀近くの歳月が流れたが、しかし今でも嘗て彼が住んでいた千駄ヶ谷や早稲田の旧居跡を訪ねると、なにがなしに文豪在りし日の面影の断片がどこかに漂っているように感じられるのは奇特(どく)というか不思議なことだ。

 本書は「明治36年3月3日の雛の日から日露戦争を挟んで、明治39年暮れの12月27日まで千駄木に暮らした知識人」夏目漱石の日々を辿った回想録で、現場の近くで生まれ育った著者ならではの土地勘と地元密着情報と鋭い洞察を交えた20年がかりのエッセイで、漱石と明治の文芸と「谷根千」近辺の風土と文化に関心を懐く人にとって出色の読み物となっている。

些事ながら私は漱石の文業で一番好きなのはまずは膨大な書簡、次いで彼の絵画、詩歌、随筆、講演集(文学関係では名著「文学論」と「文藝評論」で読んで胃が痛むような重苦しい小説なぞなくても一向に構わない。強いて挙げると「猫」「坊ちゃん」「三四郎」「彼岸過迄」といった軽めのもの)だが、珍しく著者も彼の書簡を高く評価していたのは我が意を得たりの思いであった。

実際文豪漱石ではなく明治人夏目金之助のとびっきり魅力的な人となりに接するためには彼が日夜書きまくった書簡に接するに如くはないのである。

わたくしは、明治39年1月に亡くなった成り上がりの元幕臣の福地源一郎に対して「死んでも惜しくない人ですね」と弟子加計正文にさらりと書く漱石。その翌月問題児のアホ馬鹿弟子森田草平(彼は当時故樋口一葉の最後の下宿に住んでいた)に「天下に己以外のものを信頼するより果敢なきはあらず。しかも己ほど頼みにならぬものはない。どうするのがよいか。森田君、君この問題を考えたことがありますか」と迫る漱石。さうして漱石の親友正岡子規が在ロンドンの漱石に出した有名な最後の手紙「僕ハモーダメニナッテシマッタ、毎日訳モナク号泣シテ居ルヨウナ次第ダ。(中略)倫敦ノ焼芋ノ味ハドンナカ聞キタイ」を読むたびに「胸の奥底から涙が湧き上がってくる」と記す著者が好きなのである。


ののへいはクライアントの言うことをみな聞く駄目なデザイナー 蝶人