蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ボッカッチョ著「デカメロン」を読んで

f:id:kawaiimuku:20090719120345j:plain

 

照る日曇る日第567

 

ボッカッチョとは俺のことかとボッカチヨいい。ではないけれど、世界的に有名な大作家による大小説を平川祐弘氏の最新訳で読みました。

 

 これは世に多く流布する滑稽風流夢譚のたぐい、たとえばバルザック選手のそれとは中身が決定的に違います。1348年にイタリアのフィレンツェで大流行したコレラの惨禍を実際に体験し、父親を喪った作者が、その恐ろしさと向き合いつつ、その猛威と命懸けで対抗するために書いた「生き延びるための物語」なのです。

 

 冒頭にその黒死病の恐ろしさが縷々描写されているのですが、人間も動物も生き物のすべてが猛烈な勢いで死んでいく。2匹の豚がコレラに感染した人のぼろ布をひっぱっただけでその場でコロリと死んでいく場面などは、総毛立つほどの迫力です。

 

郊外に逃げても死骸がうようよ。死を覚悟したボッカッチョが考えたのは、心頭を滅却して現実からの逃避をはかることでした。目前の地獄を括弧に入れて、ヴァーチャルな地上の楽園で7人の淑女と3人の貴公子が10日間で懸命に面白おかしい100の物語を語り継ぐ。その空前にして絶後の途方もない観念的な試みが、異常なまでに生命力に満ち満ちた面白おかしいコントの数々を生んだのです。

 

そこではどんな良く出来た艶笑譚も、どんない不出来な冒険譚も、めざすところはただひとつ。今生の思いを決死でものがたり、語り尽くすことを通じて幻想の世界の最高位まで登り尽くし、現実の悲惨そのものを顛倒しようというのです。

 

ほぼ同時代のフィレンツェを生きたダンテが描いた「神曲」が、机上の空論的な地獄の恐ろしさを描くことによって現世の快楽を遮断することを目指したとするなら、ボッカッチョは、今そこにある現実の地獄を梃子にして空想の世界に大きくはばたき、現世的快楽の極点を究めようとしたに違いありません。

 

 

ボッカッチョとは俺のことかとボッカチヨいい 蝶人