蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

横浜美術館の「プーシキン美術館展」をみて

 

 

茫洋物見遊山記131

 

ロシアが震災でいったんひっこめたコレクションが、ようやく横浜にやって来た。作品は66点とそれほど多くはなく、内容も玉石混交であるが、ゴッホの「医師レーの肖像」とアンリ・ルソーの「詩人に霊感を与えるミューズ」をこの目の玉で心ゆくまで熟視することが出来たのは葉月早々の、いいや我が残り少なき生涯の一大慶事であった。

 

ゴッホのは彼がアルルで気が狂って耳を切断してからの作品だが、その治療に当たった医師レーの肖像が、赤の他人であるはずなのに、ゴッホその人のいきうつしの姿のように感じられるから絵というものは空恐ろしい。

 

背景の緑のアールヌーボー柄、髪の毛、眼、顔、洋服等の色彩の氾濫と配色は完全に狂気の沙汰であり、厳密にはもはやこの世の人間の肖像ではない。にもかかわらず、「これがお前の顔だ」と突きつけられたのだから、気色悪くなったレーが貰ったこの絵をすぐに手放した気持ちはよくわかる。

 

むかし私が初めて巴里のモンマントル

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の15フラン絵描きに似顔絵を描いてもらったら、それがまるでビルマ人の顔だったので驚いたのと同断だろう。

 

しかしルソーはゴッホと同様に天才で、奇想の人ではあってもけっして気違いではなく、白昼に真実一路の正夢を見ることが出来る正気の人であった。詩藻の枯れた(醜男に描かれた)アポリネールを、その傍らに立つ恋人の(ブスに描かれた)サンローランが、「大丈夫よ、きっといい詩が書けるわよ」と励ましている完全無欠のへたうまの絵を見ながら、よーしおれもいい詩を書くぞ!と強く嗾けられたような気がしたことでした。

 

 

かけるも阿呆答えるほうも阿呆なり新聞社の機械式電話アンケート 蝶人