蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ジュリアン・シュナーベル監督の「潜水服は蝶の夢を見る」を観て

kawaiimuku2013-01-29




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.388

仏蘭西のふぁっちょん雑誌「エル」の編集長が突如脳溢血でまぶたしか動かすことのできないいわゆる「植物人間」になってしまうが、その瞼の瞬きを駆使して自伝的小説をものしたのを一期に、壮年の盛りにみまかってしまうという哀しい物語。原題は「潜水服と蝶」だが、身動きできない主人公が残された想像力と記憶を駆使して脳内で蝶を飛ばしたりするシーンもあるので、この邦訳くらいは許されるだろう。

実際にこんな悲惨な状況に置かれたら誰だって死んだ方がましだと思うに違いないが、主人公が置かれたのはそれすら許されない過酷な世界だった。にもかかわらず今生の思い出に涙なしでは見ることのできないこの映画とその原作を愛する家族や友人に遺すことができたのは、賞賛に値する偉大な事業であったと思うのである。

主人公の周囲には細君や看護師、通訳、情人までが登場するがそのすべてがおしゃれな業界の人間にふさわしく若くて美しい女性ばかりなので驚く。普通の患者ならこんなことはあり得ないが、それが彼のリハビリを励ますと同時に悪戯に亢進して解消できない性欲によって却って苦しめたに違いない。

夢から醒めた男が、自分は蝶の夢を見ていたのか、それともそれ自体が蝶の夢であったのかと疑う話が、荘子の「胡蝶の夢」という故事に出てくるが、恐らくこの事件そのものが壮大な宇宙に飛翔している蝶の夢だったんだろう。


雪が降るぞえチントレットなぞと呟きながら歩いている 蝶人