蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

すべての言葉は通り過ぎてゆく 第6回

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西暦2013年霜月蝶人狂言畸語輯&バガテル-そんな私のここだけの話op.17

 

 

お前の大好きなその国家が、肝心かなめの国民を殺し、返す刀で他国の国民も殺してしまうだろう。12/30

 

西暦2014年正月。瞬きしかできない身の上になってもなお悪事を働こうとする人の心についておもう。12/30

 

この頃のオケはどうしてあんなにもやかましくティンパニーを叩くのだろう? 音楽をもっとどぎつく目立たせたいと願う指揮者の指示なのだろうか?12/18

 

無垢だとよ。あきれけえっちまうぜ。「ダルス」アリス・マンロー

 

無洗米よりも普通の米の方が美味ように感じられる。

 

バレンボイム指揮の恒例ニューイヤコンサート。こんなものはウイーンでもなければワルツでもない、なんか質の悪い雑多音楽という印象。去年のメスト同様詰まらなかった。

 

最晩年になって宗教の道に入ってゆく人の気持ちはよく分かるが、それはほんとうに神仏が存在すると確信したからではなく、迫りくる死への不安と恐怖からそれに縋る人が多いのではないだろうか。12/23

 

最近村上春樹の文名はグングン上がり、次期ノーベル賞の呼び声も高まって来ているが、むかし両村上と称されたもう片方の村上龍はいまどんな小説を書いているのか? あんまりアホ莫迦テレビにばかり出ていると作家生命なんて終わってしまうぞ。

 

詩歌で政治をうたうことを避けるというのも、ある種の政治的立場の表明であることは言うを待たない。12/16

 

なんど視聴してもドダメル/スカラ座ヴェルディはほんとうに酷い、ぬるい演奏だ。彼は管弦楽も無個性だし、ましてオペラなんて百年早い。これくらいの指揮者ならわが国にも掃いて捨てるほどいるだろう。さよなら公演と思えば我慢もできようが、もはや声が出ないヌッチの「リゴレット」は学芸会のようだった。12/30

 

生来音痴の人は短歌を詠んでもあかんだろう。

 

田んぼのあぜ道の傍の流れに足をひたし、網で小鮒を追う楽しさに勝るものなし。

 

戦死した兵士たちが真っ先に帰りたいところがあるとすれば、それは、国家が用意した神社でもなければ、共に闘った仲間のところでもなく、生まれ故郷であり、生家であり、肉親たちのもとであることは当然であり、そしてかれらの思いは、戦争なんぞに参加すべきではなかったということで共通している。 by丸山健二

 

とどのつまり国家も民族も正義も理想も善悪もへったくれも関係ない。たとえ俘虜や奴婢となろうとも一匹の動物のごとく生きてあればよろしいのだ。「我が骸骨人世」より

 

かつて国家神道の拠点となり、無数の若者を死地へ追いやった曰く因縁札付きの神社を、私人ではなく首相の肩書で参拝することは、宗教的ではなく政治的デモンストレーションであり、到底み霊を安んじることになるとは思えない。本当にその気持ちがあるのなら、毎朝奥さんと近所の神社や教会に行くとか、ひとり静かに仏壇の前で手を合わせればいいのです。12/26

 

今朝のNHKの「あさイチ」で黒柳徹子が出演した。有働アナが「また出て下さいね」と声をかけると、黒柳が「いつでもOKですよ」と答え、誰かが「毎年年末の恒例にしませんか?」と呼びかけると「いいとも」という返事であっという間に事実上の出演が決まったが、こういう軽いノリこそ往年のフジの強みだったはず。12/26

 

前を行く夫婦が両手にそれぞれを引き、あわせて4匹の犬を道いっぱいになって散歩させている。過ぎたるはなお及ばざるがごとし。車なら夫婦で1台、犬猫ならそれぞれ1匹で充分と考えるのが文明国の大人の良識、世界の常識だと思うのだが、そう考えなくなった瞬間から、この国の慢と退廃が始まったのである。12/19

 

もとより紅旗征戎非吾事ではある。しかし昨今の目に余る事態に対して、したり顔で金色の沈黙とやらを守っていることは、ある意味では反倫理的だ。物を言えば吐き気がするし、唇からは血が出るが、見るべきほどのことを見た者は、言うべきことをきちんと言うてから瞑目したいものである。

 

あれほど多くの疑惑と欺瞞のどつぼにはまって職務を全うできるはずのない知事をリコールしようともしない都民の心は不可解だ。12/18

 

尖閣諸島問題で無用の対中軋轢を噴出させた前知事に続いて、五輪音頭と借用金に狂奔する美容整形済知事を恭しく戴いてきた東京都民には、その叡智と先見の明に脱帽せざるをえない。これが我々の半歩先の無間地獄世界の象徴なのだ。12/18

 

大本教では教祖の出口なおが変性男子、王仁三郎が変性女子ということになっているが、女子なのに男子の気持ちを歌うあゆなどは変性男子、男子なのに女子の声で歌う徳永英明は変性女子ではないだろうか。

 

お前はなにゆえに「愛国心」やら「郷党心」やらを我々に押しつけるのか。それは市民自身の知性と悟性と感性の内部で自発的に生まれ、お前たち権力者が我々市民に強制することによって直ちに死滅する、きわめて繊細で微妙に揺れ動く心的傾向なのだ。12/12

 

「積極的戦争主義者」が鎧の下の刀を隠そうと「積極的平和主義」を呼号するなんてまるで漫画だな。でも「積極的平和主義」だったら「武器輸出三原則」を見直す必要はさらさらないし、「集団的自衛権」も必要ないはずだ。12/17

 

世界中の観光客がわが国を訪れて一等感激するのは、名峰富士ではなくお尻めがけて温水が出るウオシュレットであることは間違いない。西欧の超一流ホテルでも珍しいというのに、本邦ではほとんどあらゆる宿泊施設にこれが常備されている。12/13

 

「なんだ、つまらない。」森鴎外の最期の言葉。

私も今のうちに言っておこう。

「なんだ、つまらない。」12/10

 

政治も経済も社会もなにもかも天理天命にまかせ、時流にぷかぷか乗って誰かに言われるがままに世界の果ての戦場に連れて行かれ、見知らぬ人間を殺したり、殺されたりするのが、昔も今も変わらない我々の姿ではないだろうか。12/8

 

世界平和への最短距離は健常者が障がい者になってしまうことにある。徳洲会の元理事長を除いて、もし世界中の人間が重度の心身障がい児者なら、新たなトロイ戦争は起こらないだろう。ところで現在でも世界の人々の大半が障がいを持っているのだが。12/9

 

♪国家国家国家が大事と莫迦の一つ覚えのように喚いているが、特定の右翼政党と冨者の利益にのみ奉仕する国家ならかつての偽国家満州のようなもので、国家の名前にすら値しない。ただちに解体廃棄処分にするべし。12/9

 

歌をうたうという心と、その歌を上手に修飾せんとする心とは、まるで次元の違う2つの心であり、「壇」やら「学び」の場所において、あとの心が、前の心の純真を損なうことが多いということを、君はよく知っているはずだ。12/11

 

正岡子規はもとより秀歌秀句の類を作ったが、その何百倍もの箸にも棒にもかからないつまらない作もたくさん詠んで、恥じらいもなく後世に残したことがなにより素晴らしい。妙な話だが、秀句より凡句が価値があることも多いのである。12/14

 

上手に作ることがアホらしくなってくると、むしろ下手な歌に良さが見えてくる。1席も選外もある意味では「同じようなもの」ではないかと疑ってみるところから、新しい詩歌の価値観が誕生するのだろう。

 

奴隷となって屈辱的な生を全うするか、共同体の正義や理想のために潔く自己を滅却するかという選択では、私は悩んだ末に前者を選ぶ。

 

たとえ殺されても共同体の正義や理想のためにいさぎよく散華するか、たとえ奴隷となっても戦いを放棄して屈辱の生を選ぶか。私はかっこ悪くともたぶん後者の生き方を選ぶだろう。国家よりおのれのいのちのほうが遥かに大事だから。12/8

 

自国の秘密情報を完璧にスパイされている宗主国アメリカから、「お前にも時々秘密情報を教えてやるから、そいつを絶対にバラサないよう厳重に取り締まれよ」といわれて、突如「特定秘密保護法案」に気違いのように取り組み始めた哀れな忠犬安倍公。12/6

 

西欧が、中国が、国益が、世界が、経済成長がどうのこうの、とおよそ145年前から無闇に威張っているが、我々は数多くのアジアの国々の中の、極東の一隅の小さな島々に住んでいるささやかな一員であることを忘れないようにしたい。12/6

 

私は生き直すことができない。しかし私らは生き直すことができる。大江健三郎「晩年様式集」より。12/6

 

「こうして私はひとりの体で幾人もの人間を演じ、どれにも満足することがない」シェークスピア「リチャード2世」より12/1

 

 

なにゆえにせっせと買い集めたビデオがユーチューブでただで見られるのか著作権の侵害なり 蝶人