蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

すべての言葉は通り過ぎてゆく 第12回

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西暦2014年水無月蝶人狂言畸語輯&バガテル-そんな私のここだけの話op.183

 

 

北海道で柴犬が身を賭して熊を追い払ったそうだが、当然のことだ。可愛いだけの世のアホ莫迦洋犬と違って、飼い主の言語と意思と恩義を解する彼らは、主人の生命の危機を察知し、それを救うこともできる。02年に死んだ愛犬ムクのように。6/28

 

ボブ・ディランの音楽は、一人義太夫節である。酸いも甘いも噛み分けた西洋浄瑠璃をベースに、太棹三味線と笛が巧みにからんで惻惻と情に訴える。6/28

 

1969年に鴨下天順カメラマンは「ボブ・ディランでは踊れないよ」なあんてほざいたが、確かに浄瑠璃の住大夫のような彼のカタリを身体化・舞踏化できない人には到底無理な話だったろう。6/28

 

浄瑠璃を愛する保守派の私は、日本語のフレーズの意味に対応した拍とメロディの予定調和を逸脱したポップソングに、大いなる違和を覚える。その先駆をなしたサザン・オールスターズやドリカムに対しても。6/28

 

「古今」で始まり「新古今」で頂点に達し、「新続古今」で終わった二十一代集においてわれわれが見るものは、伝統に対する二十一の敬ひ方にほかならない。丸谷才一「日本文学早わかり」

 

単なる飢ゑの解消を料理に高め、単なる性欲の充足を恋愛に変へるのが人間の文化の基礎である。勅撰集の恋歌は、人間関係の大本はエロチックなものだといふ認識を手をかへ品をかへて吹きこんだ。丸谷才一「日本文学早わかり」

 

共同体の狂熱から、限りなく遠ざかるべし。

 

息子が「お父さんイジケちゃだめでしょう?」と朝一番に尋ねるので、「そう、イジケちゃだめだよ」と答えた。今日はイジケないようにしよう。6/28

 

パソコンで作業しているときにいちばん不愉快なのは、入力モードがカタカナの大文字になってしまうことである。失せろビッグ・ブラザー、消えろビッグ・カタカナ!6/23

 

私は日本文学の核心にあるものは、天皇が貴女たちに言ひ寄る恋歌にあると思っています。丸谷才一「恋と日本文学と本居宣長

 

それにしても不気味で異様な世の中になったものだ。そうとは思っていない人たちが多いので、なおのこと。6/26

 

ついこないだまで大きな白い犬を散歩させていた60代の「金目」の男性が、突然亡くなってしまった。

 

その必要もないのに、あの醜悪な厚顔を執拗に登場させるNHKのニュースは、完全に安倍自民党の広報メディアに成り下がってしまった。6/20

 

朝日新聞は、おのれの主義主張を曲解し侮辱する右翼誌の広告を、なぜ平気で掲載しているのか。出す方も載せる方もおかしい。6/19

 

大学生40人ほどに「新聞を読んでいるか?」と尋ねたら、誰ひとり読んでいなかった。新聞には未来はない。そしてもしかすると大学生にも。

 

あなたは現実を生きていないと言われてしまった。では私は、過去を生きているのか?それとも近未来を? でなければ、時空を超えた裏世界を?

 

私は集団自衛権も、その行使も容認できない。憲法の解釈改変にも、閣議決定にも、自公協議そのものにも反対である。

 

もはや何の興味もなくなった人物が、さももっともらしい口吻でお馴染みの講談を垂れ流すのを耳にするのは苦痛であり、時間の浪費であり、残り少ない人生にとって大いなる無駄でもある。

 

確かに私らの意識の中には、常に「今」しかないのであるが、その「今」の中には、さいぜんまでの近接過去と、ついこれからの近接未来が、三層構造でないまぜになっているのである。6/17

 

森戸橋にはもう1匹もいないが、朝夷奈峠のヘイケボタルは、今宵を盛りと星空に乱舞していた。「私という川」に慕い寄りながら。6/16

 

安倍の恫喝に忽ち腰砕けの公明党。集団自衛権の「限定的」承認はアリの一穴。これで専守防衛憲法9条も全て骨抜きになるだろう。6/15

 

この間の大雨で、毎晩乱舞していた蛍も、せっかく相模湾から遡上してくれた絶滅危惧種の天然オオウナギも姿を消してしまった。6/14

 

一連の文章の、主語と述語、名詞と助詞の間で突然痙攣的に発語を切断する奇妙な習慣を、わが国の首相は、その教育課程のどこで身につけたのだろう。美しい国を目指すなら、その前にまず美しい日本語を喋ってほしいものだ。

 

ヨハネの首が、お盆に盛られたような月が不気味に輝く夜、無数の星々に混じって、

星と同じくらいの大きさのホタルたちが夜空に舞っている。

 

さて問題です。葬式と結婚式がぶつかったらどっちに行くべきか?

 

あれだよね、みんな役所とか会社とか学校とか上司とか経営者とか国とか権力者とか天皇とか秘密保護法とかをやたら気にしているから、自由に物も言えなくなってるんだよね。

 

「平和」は公明党の党是。小判鮫のように自民にひっついて漁夫の利をかすめることしか念頭にない矮小な政党だが、いまこそ乾坤一擲清水の舞台から飛び降り、集団自衛権強要にノーと言うべき時だ。

 

NYヤンキースの黒田が、2点取られただけでまた負けた。この人はいつも貧打に泣かされる。これまでいったい何勝損したことか。きっと腹の中は煮えくりかえっているだろうが、それでも黙々と投げ続けるこの選手が好きだ。

 

94歳で亡くなった叔母は、あどけない少女のような顔をしていた。かすかにほほえんでいた。

 

昨日は三日月。朝夷奈峠ではリリシジミが大量に発生した。

蝶はおおかた同じ日に一斉に誕生するが、人間も同じではないだろうか。

 

蛍の一生も、蝶の一生も、ウナギの一生も、人の一生も、ほんの一瞬のこと。輪舞するヘイケボタルを眺めながらそう思うのだ。

 

昨日は一しずくの精液、明日はミイラか灰、それゆえこの地上における束の間を「自然」の意志のままに過ごして、やがて安らかに憩うがよい。丸谷才一マルクス・アウレリウス「瞑想録」

 

現行憲法が禁じる積極的交戦権の行使を、一時的与党内の一協議や、一内閣の一閣議決定などで容認できるわけがない。自称右翼の軍国主義者は狂っているのではないか。

 

是非に及ばず。

 

昨夜の森戸橋は、およそ30匹のヘイケボタルが乱舞して、じつに幻想的な光景が繰り広げられていた。さらに待望のオオウナギもこの夏初お目見得!

 

グレイゾーンとかレッドカードとかやたら重箱の隅を突いているようだが、集団自衛権を行使すれば、自動的に戦争になると分かっているんだろうか。

 

人生は夢、というけれども、長い過去の時間をふりかえらずとも、つい先きほどのことまでが、夢のような気がするのである。小島信夫「浅き夢」

 

久しぶりにモーツアルトの「フィガロの結婚」をベームで堪能した後で、アーノンクールを聴いたのだが、あまりの空虚さに慨嘆。アルマヴィーヴァ伯爵が許しを乞い、夫人がそれを許すラストで、何の感動も感慨も湧き起こらない。ほんとに空っぽの形態模写演奏なり。

 

北朝鮮が拉致調査に同意。だから、隣国をやたら敵国と見做す集団自衛権発動ごっこなんかやめて、地道な平和外交を貫けばいいのだ。

 

昔、大徳寺の大とう国師は出家発心ため自分の赤坊を食べているところへ夫人が戻って来て卒倒した。このようなことを知って一休は入門した。小島信夫「小さな講演のあと」6/1

 

 

なにゆえにカードだとばんばん買えるのか自分の金ではないような気がして 蝶人