蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ごきげんよう、さようなら~「これでも詩かよ」第99番

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ある晴れた日に 第257回

 

 

今日わたくしが滑川をのぞきこみましたら、

だいぶ大きくなったハヤたちが、

楽しげにすいすいと泳いでいます。

 

大きな亀のドン太が、

大きな甲羅から首だけ出して、

あたりをきょろきょろ眺めていましたので、

 

「ドン太、ドン多どうしたんだね」と尋ねますと、ドン太は

「大うなぎのウナジロウが見つからないんだよう。いったいどうしたんだろう?」

と、うろたえています。

 

住まいも近くだし、いつもこのあたりで遊んでいる友達が突然いなくなったのが、

心配でたまらないのです。

 

するとそのとき、土管を飛び出したカワセミの瑠璃子が、

 

「ドン太はねえ、こないだ青木とかいう悪い人間の罠で捕まえられて、カバ焼きにされちゃったのよ」

と笑いながら早口でしゃべったので、ドン太はびっくり。

 

「瑠璃子、それって本当? いったいどこのどいつが天然記念物の絶滅寸前のドン太にそんなひどいことをしたんだね?」

と尋ねましたが、

 

わたくしに似てちょっと意地悪なところのある瑠璃子は、

それ以上教えることなく、青と緑と黄色と金色に輝く短い翼を、太陽の光にきらめかせながら、滑川の上流に飛び去ってゆきました。

 

がっくり落ちこんで首を垂らしているドン太を、わたくしは、

「大丈夫、きっとこないだの台風11号で流されただけだ。すぐに元の住処まで戻ってくるさ」と慰めてやりました。

 

しかし真実は瑠璃子のいうとおりかもしれません。

下流の十二所の橋の下では、悪賢い青木一味の仕掛けにかかって、ウナジロウの家族や友達の何匹もの天然うなぎが命を落としているのです。

 

ドン太と別れて、大木さんの家の手前にさしかかると、

珍しく青鷺のザミュエルが 

大股でゆっくり浅瀬を歩いていました。

 

去年の11月中旬に、彼女の子供のベンジャミンが不慮の事故で亡くなったときの姿は、さながら梅若丸を喪った「隅田川」の狂女のようで、見ていられませでしたが、あれからおよそ9カ月が経ち、少しは元気を取りもどしたようです。

 

「やあザミュエル、去年は息子の娘さんのでベンジィンが気の毒なことをしたねえ。あんときゃあげっそり痩せてたけれど、あんた胸のあたりに肉がついて、元気そうじゃないか。今日はどうしてここへやってきたの?」

 

と尋ねると、

「なんだか急に小泉先生のアトリエを見たくなってね、網代からここまでひとっ飛びに飛んできたの」と答えます。

 

「そうだったのか、先生ンチはまだあるけど、もう人手に渡って誰も住んではいないよ。さっき自転車で雪ノ下まで行ってきたんだけど、吉田秀和さンチのお宅も、草も木も跡形なく消え失せて更地になっていた」

 

と伝えると、ザミュエルは美しい青の眉を顰めて、

「ほんと、嘆かわしいことだねえ、亡くなられてからまだ2年ちょっとしか経たないのに。諸行無常とはこのことだねえ」

 

と深く嘆くのでした。

「ところで例の東大生はどうしたの?」

とザミュエルが聞くので、

 

この滑川の水質検査をしていた水産科の学生さんのことかい? 

それならこないだ2,3人連れ立って定点観測の現場にやって来て、「1年間お世話になりました」と礼儀正しく挨拶したよ。

 

「滑川は年々きれいな川になっているようです。だから天然うなぎも鮎を追って相模湾から遡上してくるのでしょう」

と言ってたよ。

 

と教えてやると、「そうかい、もう来ないのかい。それなら、あたしも、あの子たちに、ちょっと挨拶をしたかったなあ」

と残念そうな顔つきをしました。

 

彼女の息子のベンジャミンが、定点観測のあの現場近くで、ごろつきのカラスどもに襲撃されて命を落としたことは、現場近くの土管の奥に住んでいるヤマカガシの三太郎が、細大漏らさずレポートしてくれたので、村中のみんなが知っているのです。

 

「んで、あんたとこはどうなんだい。なんか変わったことはあるの?」

とザミュエルが聞くので、わたくしは思わず家族のあれやこれやを彼女に伝えようとしたのですが、

 

ここでそんな話をザミュエルにすれば、あっという間にドン太や瑠璃子を通じて震災地からやって来た柴犬の飼い主である太郎のおかあさんに伝わり、そこから村の全員に知られてしまうと思ったので、

 

「人世苦あれど少しは楽もあり。まあまあというところかな」

というと、ザミュエルは、

灰色と青が混じった翼を、さっと大きく広げました。

 

さうして「それじゃあまた。ごきげんよう、さようなら」

と、まるで歌うように言いながら、

初秋の空に向かって、バサバサと飛び立っていったのでした。

 

 

なにゆえに「ごきげんよう、さようなら」と挨拶するの恐らく二度と会うことはない 蝶人