蝶人戯画録

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アンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」をみて

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bowyow cine-archives vol.704

 

父親をカティンの森赤軍に惨殺された男の怒りと悲しみと怨念が籠った1作なり。

 

1939年、世にも不思議な独ソ平和条約を締結した東西の鬼が、哀れな兎を頭と尻尾からそれぞれ食いちぎる。

 

第2次大戦で激突した独ソのどちらが悪いかといえば、それを全体主義対民主主義の教科書的価値観から眺めれば、当然異民族虐殺とファシズム、世界侵略に狂奔したナチス・ドイツが悪魔のように悪いということになるだろう。

 

ところがどっこい、ソ連だって悪行蛮行では負けてはいない。人民と正義の味方を自称したソ連が、武器を捨てて投降したポーランドの将校たちを皆殺しにし、それを天敵ヒトラーのせいにして居直り、あまつさえその大嘘を衛星国に従えたポーランドにも押しつけるとは、もうそれだけで思想的にも人間的にも国家的にもアウトである。

 

だからと言うてナチス・ドイツのアウシュビッツにおける天人ともに許されざる罪業がいささかでも軽減されることはないにしても、この時代に角突き合わせて相争っていた日米を含めた国家という存在は、己自分でももはや制御不可能な巨大な暴力装置、人間以下、動物以下の糞のようなリバイアサンになり果てていたのだろう。

 

そして大戦がいちおう終わっても、そのようなリバイアサンどもの角逐は表層の姿形だけを変えて延々とつづき、いまなお全世界を鼻息荒く闊歩しているのだ。

 

 

とある日とある街でさりげなくそれは起きるだろうあらゆる戦さがそうであったように 蝶人