蝶人戯画録

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東京国立近代美術館にて「菱田春草展」をみて

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茫洋物見遊山記第156回

 

 閉会ぎりぎりになってしまいましたが、本日11月3日までという「菱田春草展」を飛び込みでみてまいりました。

 

 同時代を長く生き抜いた横山大観とは生涯を通じての「朦朧体」時代からの盟友でしたが、改めて菱田春草の代表作を通覧しての感想は、

 

 たった36歳で夭折させるとは、絵の神様も残酷なことをなさるもの。せめてあと1年でも長く絵筆を持たせたかった!の一言でした。

 

 大観と一緒に欧米を旅した春草は、つとに泰西名画の色彩術や構成法を機敏に学び、それを相対的な若書きの「王昭君」や「賢首菩薩」に反映させていた春草でしたが、最晩年の「落葉」シリーズや「黒猫」シリーズに至ると、それらの技法を超越した前人未踏の美の世界へと飛翔しつづけます。

 

 それは例えば「早春」の左雙の右上に描かれた小鳥の遥けき彼方に向けて飛び立つ一瞬の静止した姿に見事に象徴されているのではないでしょうか。

 

 世評高い「黒き猫」ですが、これは彼が描いた鴉と同様、死神の象徴で、枯れ枝に楽しく乱舞する雀たちや豊穣の秋を寿ぐ橙の柿と鋭く対比させる目的のために描かれているようです。

 

 そのほか大観とは正反対に、他の山々と同じような視線で描かれた富士山、「王昭君」には王昭君と瓜二つの女性が描かれていること。(これはもしかすると彼女の妹か、あるいは彼女の分身ではなかろうか)、未完の「落葉」は落葉が書かれていないがゆえに実際の落葉を想像させる象徴画のような趣を呈している、等々いつまで見物しても見飽きることのない傑出した展覧会でした。

 

 

なにゆえにシノーポリ/フィルハーモニアのマラ5は面白いメータ/イスラエルにないものが全部あるので 蝶人