蝶人戯画録

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さとう三千魚著「詩集 はなとゆめ」を読んで~「これでも詩かよ」第114番

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ある晴れた日に 第267回&照る日曇る日第735回

 

 

曇った窓ガラスを人差し指でそっと拭くと、蒸気機関車が行く沿線の夜景が  

詩人の顔と重なるようにして、次々に広がってくる。

これまで見たこともない、新しい相貌をそなえて。

 

まず、ぼおおと浮かび上がってきたのは、ピアニストのアルフレート・ブレンデル

その部厚い眼鏡の奥の瞳は、

沈黙して、口ごもって、笑っていた。笑っていた。

 

次に現れたのは、雄物川の川底から、

少年時の詩人が見上げた太陽。

それは、水の中で光り輝いていた。輝いていた。

 

詩人が曇った窓ガラスを右手の親指でそっと拭くと

脳梗塞で倒れた今は亡き父親が、

詩人を見送りながら、声をあげて泣いている。泣いている。

 

遠くで蝉が鳴いている。

小鳥たちも鳴いている。

マリア・ユーディナのバッハが鳴っている。鳴っている。

 

 そこに横たわっているのはALSで寝たきりになった母親

都会に戻る詩人を、白い朝顔の花のように見上げて

動かない顔を歪めて、笑っている。笑っている。

 

 ウォン、ウォン、ウォーーン

次第に闇に包まれてゆく窓ガラスの向こうで

詩人の愛犬モコが啼いている。啼いている。

 

夕暮れの浜辺に飛ぶ燕の向こうに

詩人は、世界の始まりと終わりを、見てしまった。

見てしまった。見てしまった。

 

追記

 

さとう三千魚さんの詩集「はなとゆめ」(無明舎出版1200円)を拝読しました。

 

著者の友人の桑原正彦さんのドローイング展の題名にちなみ、その可憐な絵に表紙が飾られ、ALSという難病に罹られた母上に献じられた静謐で謙虚で質朴な詩集です。

 

饒舌と喧騒から限りなく遠ざかり、著者が愛犬モコと一緒に見ているのは、光る海を吹く風やカタバミの花。小鳥の小さな懐かしい場所、生者と死者が隣り合わせに息づいているような静かな世界。

 

言葉は密かな囁きのように、内なる願いのように、祈りのように、呪文のように繰り返されるのです。

 

「わたしは現実がなにかの間違いではないかと思うことがあります。

 わたしはこの現実が真昼の夢の一場面ではないかと思うことがあります」(「真昼の眠り」より)

 

 と、詩人はつぶやくのですが、

 

私は詩人の視点が、「私の写真は私がガラスに映っっている風景だ」と説く荒木経惟氏のそれにとてもよく似ていると密かに考えています。

 

詩人の眼に映るすべての景色は、彼固有の心の懐かしい光景として見事に内面化されているのです。

 

親愛なる読者の皆様のご一読をお勧めいたします。

 

 

  さとうさんちのモコは、ウォン、ウォン、ウォーーンと啼く

 うちのムクはWANNG!と一声発して地上の星となったよ 蝶人