蝶人戯画録

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「井上ひさし短編中編小説集成」第1巻を読んで

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照る日曇る日第738回 

 

 

 著者の小熊秀雄への傾倒と敬愛を明かした「ブンとフン」や「いとしのブリジット・ボルドー」に加えて3つの単行本未収録作品が収録されていますが、とくに注目すべきは後者の中の1作「燔祭」ではないでしょうか。

 

 これは若き日の著者が浅草6区のストリップ劇場「浅草フランス座」の進行係(文芸部員)として食うや食わずで働いていた頃のありようを、聖パウロ女子修道会発行の月刊誌「あけぼの」に発表したもので、未完の小説ながらすぐれた作品だと思いました。

 

 そこには下層階級に浮き沈みする男と女、ストリッパーや役者や照明や支配人やブルジョワの社長、そして何とかしてこの絶望的な桟敷から逃亡したいとあがいている若き日の著者の苦しみと生の哀歓が見事に浮き彫りにされており、読者は1959年現在の「浅草フランス座」一座の仲間になったような錯覚に陥ることでせう。

 

 とくに印象的なのは、この苦界を奇跡的に脱出して有名スターへの道を歩みはじめたばかりの勝者、渥美清の姿で、その渥美に媚びる、当時まだ下積み生活を続けていた谷幹一の浅ましい言動、そして余裕を持って先輩風を吹かせる渥美との大きな社会的落差を、著者はくっきりと描いているのです。

 

 著者が得意とする機知と諧謔、ヒュウモアとレトリック、地口と歌謡、劇性と抒情味、そして終生変わることのなかった反権力意識は、この最初の活字作品にすでにして顕著です。

 

 ただし248頁の「還暦」は、「古稀」の間違い。2刷の際には必ず訂正していただきたいものです。

 

 

キになるイバラのカバライキン果たして私と関係があるのかないのカバライキン 蝶人