黒川創著「京都」を読んで
照る日曇る日第746回
題名の都にむかし1年間だけ住んでいたことがあるので、なんとなく手に取りましたらななんと当時私が下宿していた左京区の田中西大久保町近辺が小説の舞台になっているので俄かに懐かしさを覚えました。かのJFKが暗殺された年のことです。
百万遍交差点あたりを毎日うろついていたあの青春の日々。東大路の石畳をゾンゾンと叩きつけながら驀進する市電六番の広軌のレールは、盆地を熱する八月の気違いじみた暑さの中でぐにゃりと歪んでいたのでした。
このへんの田中関田町に西園寺公望の別荘、清風荘があったとは初耳ですが、明治の初頭彼は御所の中の私邸で私塾立命館をひらいていたから、その当時に造ったのでしょうね。
また部落解放運動の旗手、朝田善之介はこの近所の田中馬場町の生まれというのも初めて知りました。今出川通りを北にわたった西田中は、高野川と加茂川の砂利を採取する貧しい被差別部落だったそうですが、華の都、京の北部に住むハイソな連中は、そういうエタヒニン居住地区が平安時代から現代まで続いていることを片時も忘れたことはありません。
被差別部落は京都駅より南に広がって、この小説の「旧柳原町ドンツキ前」に出てくる七条河原町から塩小路高倉あたりには、靴屋、下駄屋、革製品屋が軒を並べていましたが今はどうなったのでしょう。
当時京都駅の新幹線のホームから南にはワコールとPHPをのぞいてめぼしい建物がなく、小さな低層木造家屋が密集していて汚いドブイタを跨がなくなった共産党に代わって創価学会が勢力を伸ばしておりましたが、これも今はどうなったのでしょう。
京はそとずらはいいけれど、おのれより下位に属すると見做す者たちへの冷たい眼差しは陰にこもって険があるということは、丹波の下駄屋の3代目に当たるわたくしが田舎者ばかりが住む明るい江戸に移ってから身にしみて分かってきたのでした。
勝った勝ったぞ万々歳!安倍ちゃんにまかせておけば薔薇色の人世 猫も杓子も天国へ行けるぞ! 蝶人