蝶人戯画録

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山本周五郎著「虚空遍歴上下巻」を読んで

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照る日曇る日第748回 &第749回

 

 どの作でも書き方がマンネリで鼻につくので、もういいだろうと思っていたはずなのに、またしてこの人の長編を手にしたのは、題名がちょっと気になったからでした。

 

 思いがけず主人公が端唄の作家で、その軽薄さがいやになったので浄瑠璃作家を目指しているという設定だったので、おお「うい奴め」というわけでクイクイと読み進んだわけでありんす。

 

 しかも団十郎の空疎な荒芸の限界を知って実事を主眼としてきた大坂に学び直そうとする志を持つ人物だと知って、ますます興味を懐いたのですが、途中から彼を恋ふるいろんな女たちが次々に登場して、いわば女難の趣が強まってくるのが、私にとってははなはだ迷惑。

 

 下巻では、おのれの端歌に満足できず、理想の浄瑠璃を夢見る主人公の浄瑠璃語り、中藤沖也は、江戸を捨て、妻の京を捨て、すべての名声を捨てて大坂から今庄、山中温泉、金沢へと放浪と模索の旅に出ます。

 

 あらゆる辛苦に耐えて、苦難の中に芸術的精華をつかもうと苦闘する主人公を、身を犠牲にして最後まで支えるのが芸妓のけい。しかしその命がけの芸術人世修業は、ついに美しい花を咲かせることなく、北国の雪の中に消え去ってゆくのであったあ。

 

 全編を通じての感想としては、絶対的窮乏にあえぐ貧民と、どうしても男なしには生きていけない脆い肉体と生理を抱え込んだ女性に対する、著者の優しい視線が印象に残りまする。

 

 解説によれば、著者は酒におぼれ絶望と困窮のうちに死んでいったアメリカの民謡の父フォスターと、その最晩年を支えた女性の伝記に触発されて、この異色の大長編小説を構想したそうですが、主人公中藤沖也とフォスター、そして山本周五郎の痛苦に満ち満ちた足取りが完全に重なってみえてくるのが不思議です。

 

 おおスザンナ金髪のジェニー夢見る人よすべては終わりぬケンタッキーの我が家 蝶人