蝶人戯画録

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ドナルド・キーン著「ドナルド・キーン著作集第11巻」を読んで

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照る日曇る日第757回

 

「日本人の西洋発見」と「渡辺崋山」の2冊を収めている。

 

「日本人の西洋発見」は初めて読みましたが、江戸後期の蘭学をはじめとする西洋の科学技術、政治経済、宗教、思想、文明文化との接触を本多利明(寛永3年―寛保3年)を主軸に、司馬江漢、最上徳内などの先駆者の足跡と活動を丹念に追いながらあからめてゆきます。

 

 司馬江漢はその絵が実家にあったから幼い時から親しみを覚えていたし、最上徳内も幕府のスパイ間宮林蔵と正反対の晴朗な人柄を密かに愛していた人物だったが、

日本のマルサスと称された偉大な思想家、本多利明は知らなかった。

 

 この人の経済哲学や文明論の射程距離は、現代に及ぶほど長大なものであります。

 

渡辺崋山」は再読ですが、本邦唯一無二の肖像画家兼田原藩家老職兼であったこの先駆的近世社会思想家が、陰険無比な策謀家、鳥居耀蔵の魔手に捕えられて「杞憂を以て罪に罹り、杞憂を以て」(松崎慊堂)自刃のやむなきに至ったのは、本当に悔しく哀しいことでした。

 

 縛についた崋山に対して命懸けで擁護した松崎慊堂、椿椿山と、まるで掌を返すように冷淡な態度をとった滝沢馬琴佐藤一斎。いくら才能と地位と名声があっても、本当にその人がどういう人間であるかはこういう土壇場でありありと露呈するから恐ろしい。

 

 もっと恐ろしいのは、崋山の死骸を一瞥し、「腹を裂かずに喉を刺し、まるで婦女子のように死んだ!」と罵った崋山の母親です。

 

 しかし抱き起してよく見ると、彼がまず腹を切り、傷口からこぼれた腸を腹に収めて衣服を正してから、(介錯人がいないために)苦悶しながら首を刺し貫いて前に倒れた、ことが分かると、「真に我児なり」と、哀しげな顔で頬笑んだというのでありまする。

 

 

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 「八犬伝」をものした馬琴は偉いけど崋山を裏切る馬琴は卑劣漢  蝶人