蝶人戯画録

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鎌倉十二所を歩く その4 「三郎の滝」の巻

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茫洋物見遊山記第171回&鎌倉ちょっと不思議な物語第333回

 

 

 朝夷奈切通の麓には高さ5メートルほどの三郎の滝が落ちている。ふだんはあまり水量がないが、嵐の折には轟々と音をたてて大量の水が滝つぼめがけて落下し、朝夷奈峠の脇を流れる渓流と合体し、十二所の邑めがけて流れ下る。

 

 太刀洗川である。

 

 太刀洗川はさらに下りながら途中で二階堂川と合流して滑川となり、由比ヶ浜相模湾にそそいでいる。

 

 ところでこの「三郎の滝」の三郎というのは誰かというと、和田義盛の三男、朝比奈三郎義秀その人である。彼はつとに豪勇で知られ、朝夷奈切通は彼が一夜にして切り開いたという伝説がこの麓に建つ鎌倉青年団の石碑に記されている。

 

 建暦三(1193)年、たび重なる北条義時の挑発に乗って打倒北条の戦を起こした和田義盛は盟友三浦義村の裏切りで苦戦をしいられ、一族はおいつめられた由比ヶ浜で斃されるが、この「和田合戦」でもっとも果敢な戦いを繰り広げた勇猛な武将が三郎であった。

 

 現在でも由比ヶ浜の砂を深く掘り進むと、まれに当時の大臼歯などを掘り当てることがあるが、おそらくこれは和田一族の若武者の無念の証であろう。

 

 しかし朝比奈三郎は死ななかった。伝説では彼は6隻の船に600人の武将を乗せて故郷安房の国朝夷郡にのがれ、その後みちのくを経て遥か高麗の地へ至ったという。

 

 義経を想起させるそんな勇壮な伝説を思いつつ、この三郎の滝の水を全身に浴びてみるのも一興ではないだろうか。

 

 

   由比ヶ浜の砂の下に昏々と眠り続ける若武者の歯よ 蝶人