蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

プルースト著岩崎力訳「楽しみと日々」を読んで

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照る日曇る日第768回

 

 

失われた時を求めて」の作者が20代前半に書いた短編小説&エッセイのアマルガム&ブリコラージュ本で、アナトール・フランスが序文を寄せています。

 

 昔から「栴檀は双葉より芳し」なぞと申しますが、マア少しは後年の大傑作を連想させる要素もあり、と後付けで云おうと思えば言えるでしょうが、全体の読後感をおさらいするなら、この程度の文章家がよくもあんな大作家に化けたと評すべきではないでしょうか。

 

 訳者の訳注によれば、彼は13,4歳の頃にはモーツアルトとグノーを、20歳すぎにはベートーヴェンワーグナーシューマンを好んだらしく、本書にはショパングルックモーツアルトシューマンについて「音楽家の肖像」というタイトルの連詩が載せられておりますが、果たしてどこまで彼らの芸術の真価が分かっていたのか怪しいものだと思います。

 

 けれども「俗悪な音楽を嫌うのはいい。しかし軽蔑してはいけない。高雅な音楽より低俗な音楽のほうが遥かにしばしば、遥かに情熱をこめて演奏され歌われるので、前者より後者が徐々に、人々の夢や涙で満たされるにいたった。それだけでも低俗な音楽は敬すべきものでなくてはならぬ」と賛辞を贈っているのは、さすがと云うべきでしょう。

 

 この「音楽」を、「映画」や「絵画」や「文芸」や「演劇」なぞにそっと置き換えてみるのも一興かと存じます。

 

 またギリシアの詩人、ヘーシオドスの「仕事と日々」からぱくったこの「LES PLAI

SIRS ET LES JOURS」というタイトルは、いかにも才知あふれるプルースト選手ならではのネーミングで、私もご本人の許諾もなしにぱくって、自分の詩歌連載の題名に流用させていただいておりまする。

 

 

   仕事よりは楽しみの日々のほうが楽しかろ古代ギリシアのその昔から 蝶人