蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

佐々木愛子全歌集

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ある晴れた日に第294回

 

 

一昨日は私の母愛子の命日でしたので、その冥福を祈るために生涯アマチュアの歌詠みであった彼女の全歌集をここに採録しておきたいと存じます。母の霊よ安かれ! 


つたなくて うたにならねば みそひともじ 
ただつづるのみ おもいのままに    

七十年 生きて気づけば 形なき 
蓄えとして 言葉ありけり  
     
1995年4月 
いぬふぐり むれさく土手を たづね来ぬ 
 小さく青き 星にあいたく 
                    
1992年5月 
五月晴れ さみどり匂う 竹林を 
ぬうように行く JR奈良線 

なだらかに 丘に梅林 拡がりて 
五月晴れの 奈良線をゆく 

直哉邸すぎ 娘と共に 
ささやきのこみちとう 春日野を行く 

突然に バンビの親子に 出会いたり 
こみちをぬけし 春日参道 

           
1992年7月 
くちなしの 一輪ひらき かぐわしき 
かをりただよう 梅雨の晴れ間に 

梅雨空に くちなし一輪 ひらきそめ 
家いっぱいに かおりみちをり 


15,6年前の古いノートより 
いずれも京都への山陰線の車中にて 

色づける 田のあぜみちの まんじゅしゃげ 
つらなりて咲く 炎のいろに 

あかあかと 師走の陽あび 山里の 
 小さき柿の 枝に残れる 

山あひの 木々にかかれる 藤つるの 
 短き花房 たわわに咲ける 

谷あひに ひそと咲きたる 桐の花 
 そのうすむらさきを このましと見る 

うちつづく 雑草おごれる 休耕田 
 背高き尾花 むらがりて咲く 

刈り取りし 穂束つみし 縁先の 
 日かげに白き 霜の残れる 

PKO法案 
あまたの血 流されて得し 平和なれば 
 次の世代に つがれゆきたし 

もじずりの 花がすんだら 刈るといふ 
 娘のやさしさに ふれたるおもひ 

うっすらと 空白む頃 小雀たち 
 樫の木にむれ さえずりはじむ 

1992年8月 
娘達帰る 
子らを乗せ 坂のぼり行く 車の灯 
 やがて消え行き ただ我一人 

兼さん(昔の「てらこ」の番頭さん)の遺骨還りたる日近づく 
かづかづの 想い出ひめし 秋海棠 
 蕾色づく 頃となりたり 

万葉植物園にて棉の実を求む 
棉の花 葉につつまれて 今日咲きぬ 
 待ち待ちいしが ゆかしく咲きぬ 

いねがたき 夜はつづけど 夜の白み 
 日毎におそく 秋も間近し 

なかざりし くまぜみの声 しきりなり 
 夏の終はりを つぐる如くに 

わが庭の ほたるぶくろ 今さかり 
 鎌倉に見し そのほたるぶくろ 

花折ると 手かけし枝より 雨がえる 
 我が手にうつり 驚かされぬる 

なすすべも なければ胸の ふさがりて 
 只祈るのみ 孫の不登校 

1992年11月 
もみじ葉の 命のかぎり 赤々と 
 秋の陽をうけ かがやきて散る 

おさなき日 祖父と訪ひし 古き門 
 想い出と共に こわされてゆく 

老祖父と 共にくぐりし 古き門             
 想い出と共に こわされてゆく 

1992年12月 
暮れやすき 師走の夕べ 家中(いえじゅう)の 
 あかりともして 心たらわん 

築山の 千両の実の 色づきぬ 
 種子より育てし ななとせを経て 

手折らんと してはまよいぬ 千両の 
 はじめてつけし あかき実なれば 

師走月 ましろき綿に つつまれて 
 ようやく棉の 実はじけそむ   「棉」は綿の木、「綿」は棉に咲く花 

母の里 綿くり機をば 商いぬと 
 聞けばなつかし 白き棉の実 

1993年1月 病院にて 
陽ささねど 四尾の峰は 姿見せ 
 今日のひとひは 晴れとなるらし 

由良川の 散歩帰りに 摘みてこし 
 孫の手にせる いぬふぐりの花 

みんなみの 窓辺の床に 横たわり 
 ひねもす雲の かぎろいを見つ 

七十年 過ごせし街の 拡がりを 
 初めて北より ひた眺めをり 

今ひとたび あたえられし 我が命 
 無駄にはすまじと 思う比頃 

1993年2月 
大雪の 降りたる朝なり 軒下に 
 雀のさえずり 聞きてうれしも 

次々と おとないくれし 子等の顔 
 やがては涙の 中に浮かびぬ 

くちなしの うつむき匂う そのさがを 
 ゆかしと思ふ ともしと思ふ 
                    「ともし」は面白いの意。 
十両、千両、万両  花つける 
 我庭にまた 億両植うるよ 

命得て ふたたび迎ふる あらたまの 
 年の始めを ことほぎまつる 

おさな去り こころうつろに 夜も過ぎて 
 くちなし匂う 朝を迎うる 

炎天の 暑さ待たるる 長き梅雨 
             
1993年9月 
弟と 思いしきみの 訃を知りぬ 
 おとないくれし 日もまだあさきに 

拡がれる しだの葉かげに ひそと咲く 
 花を見つけぬ 紫つゆくさ 

拡がれる しだの葉かげに 見出しぬ 
 ひそやかに咲く むらさきつゆくさ 

水ひきの花枯れ 虫の音もさみし 
 ふじばかま咲き 秋深まりぬ 

ニトロ持ち ポカリスエット コーヒーあめ 
 袋につめて 彼岸まゐりに 

久々に 野辺を歩めば 生き生きと 
野菊の花が 吾(あ)を迎うるよ 

うめもどき たねまきてより いくとしか 
 枝もたわわに 赤き実つけぬ 

露地裏に 幼子の声 ひびきいて 
 心はずむよ おとろうる身も 

戸をくれば きんもくせいの ふと匂ふ 
 目には見えねど 梢に咲けるか 

秋たけて ほととぎす花 ひらきそめ 
 もみじ散りしく 庭のかたえに 

なき人を 惜しむように 秋時雨 

村雨は 淋しきものよ 身にしみて 
 秋の草花 色もすがれぬ 

実らねど  なんてんの葉も  あかろみて 

病みし身も 次第にいえて 友とゆく 
 秋の丹波路 楽しかりけり 

山かひに まだ刈りとらぬ 田もありて 
 きびしき秋の みのりを思ふ 

いのちみち 着物の山に つつまれし 
まさ子の君は 生き生きとして      雅子さんご成婚か、不詳 

カレンダー 最後のページに なりしとき 
 いよよますます かなしかりける 

虫の音も たえだえとなり もみじばも 
 色あせはてて 庭にちりしく 

深き朝霧の中、11月27日 長男立ち寄る 
ふりかえり 手をふる車 遠ざかり 
 やがては深く 霧がつつみぬ 
             
1994年4月 
散りばめる 星のごとくに 若草の 
 野辺に咲きたる いぬふぐりの花 

この春の 最後の桜に 会いたくて 
 上野の坂を のぼり行くなり 

春あらし 過ぎてかた木の 一せいに 
 きほい立つごと 芽ふきいでたり 

1994年5月 
浄瑠璃寺に このましと見し 十二ひとえ 
 今坪庭に 花さかりなり 

うす暗き 浄瑠璃寺の かたすみに 
 ひそと咲きたる じゅうにひとえ 

あらし去り 葉桜となる 藤山を 
 惜しみつつ眺む 街の広場に 

級会(クラスかい) 不参加ときめて こぞをちとしの 
 アルバムくりぬ 友の顔かほ        「をちとし」は一昨年の意 

萌えいづる 小さきいのち いとほしく 
 同じ野草の 小鉢ふえゆく 

藤山を めぐりて登る 桜道 
 ふかきみどりに つつまれて消ゆ 

登校を こばみしふたとせ ながかりき 
 時も忘れぬ 今となりては 

学校は とてもたのしと 生き生きと 
 孫は語りぬ はずむ声にて 

円高の百円を切ると ニュース流る 
 白秋の詩をよむ 深夜便にて      「深夜便」はNHKラジオ番組 

水無月祭 
老ゆるとは かくなるものか みなつきの 
 はじける花火 床に聞くのみ       「水無月祭」は郷里の夏祭り   

もゆる夏 つづけどゆうべ 吹く風に 
 小さき秋の 気配感じぬ 

打ちつづく 炎暑に耐えて 秋海棠 
 背低きままに つぼみつけたり 

衛星も はた関空も かかわりなし 
 狂える夏を 如何に過すや          

草花の たね取り終えて 我が庭は 
 冬の気配 色濃くなりぬ 

1995年4月 
いぬふぐり むれさく土手を たづね来ぬ 
 小さく青き 星にあいたく 


  土手下に真昼の星は輝きぬ小さく青きいぬふぐり咲きたり 蝶人