蝶人戯画録

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吉田秀和述西川彰一編「モーツァルトその音楽と生涯」第5巻を読んで

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照る日曇る日第771回

 

 

今宵出舟はお名残り惜しや。

 

モザール最後の年の最後の曲k626を放送する吉田翁の双眼には、さぞかし潤沢なドロプスが頬を伝わり流れたであろう、そのような最終回の最終巻なりき。

 

 ついに未完に終わったレクイエムに至るまでに翁によってよどみなく語り尽くされているのは1787年作曲の「アイネクライネ・ナハトムジーク」、歌劇「ドン・ジョヴァンニ」、88年の「交響曲第39、40、41番」、89年の「クラリネット五重奏曲」、90年の歌劇「コジ・ファン・トウッテ」、「弦楽五重奏曲二長調」、91年の「ピアノ協奏曲第27番」、歌劇「魔笛」&「皇帝テイートの慈悲」等々等々の名曲揃い。

 

 こうやって曲名を抜き書きしているだけでその音楽が脳内を猛烈な勢いで駈けめぐる次第であるが、特に凄いのはモー選手の死の年1791年の疾風怒濤のラストスパートの物凄さ。金欲しさにアルバイトの舞曲を書き飛ばしながら、あの涙なしでは聴くことのできないk595の最後のピアノ協奏曲を書き遺し、この世のものとも思えぬジングシュピールの傑作「魔笛」を完成し、オペラセリア「皇帝テイートの慈悲」に至ってはわずか18日間で仕上げたというから、もはや超人的な仕事ぶりといわざるをえない。

 

 本書で吉田翁は、「ウイーン、9月7日」の日付のモザールの手紙をが紹介しています。

 

「仕事は一生懸命続けています。けれどももう自分の終りの鐘が鳴っているのかな、とふっと気づかされるような気がする時があります。僕はもう息もたえだえなんです。自分の才能を楽しむ前に死んでしまう。ですが、生きるということは実に楽しかった。でも自分の運命を勝手に変えることはできません。諦めなければなりません。何事も神様の望む通りに行われるでしょう」

 

 心身とも疲労困憊しながら取り組んだ最後の仕事が、ほかならぬ彼自身のレクイエムになったのはまことに悲劇的であったが、この曲を聴きながら、彼にあと数年、いや1年の猶予を神様はどうしてお与えにならなかったのか、と天を仰ぐ人は私だけではないだろう。

 

 

   神様に愛されざれしかアマデウスせめてあと一年の命ありせば 蝶人