蝶人戯画録

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鎌倉十二所を歩く その7 朝夷奈切通の巻

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茫洋物見遊山記第174回&鎌倉ちょっと不思議な物語第336回

 

 

 毎度おなじみの散策路なり。

 

 鎌倉には7つの切通があるが、これは武蔵国久良岐郡相模国鎌倉郡の境にあって、鎌倉と東京湾の六浦(むつら)を結ぶ鎌倉以前からある重要な峠道であり、六浦港は関東一円の生産物が集積される幕府の貴重な外港であった。

 

 鎌倉町青年団が建てた石碑には「土俗に朝夷奈三郎義秀一夜のうちに切抜けたるを以てその名ありと伝えられている」とあるが、まあこれは英雄伝説で、「仁治元年11月に議定があり、翌年4月に執権北条泰時がここを訪れて諸人群衆し土石を運んだ」とあるのが正しいのだろう。

 

 朝夷奈切通は産業道路のほかに軍事戦略の要衝として活用され、それは北条泰時の甥、金沢実時が六浦に別荘を持ったことで一層その重要度を強めていった。

 

 いずれにせよ将軍や執権、武将、日蓮上人などの宗教家をはじめ、無数の商人、百姓たちがさまざまな、しかし現代にも通じる思いを懐きながら、およそ700年にわたってこの切通を往来していたのであろう。

 

 朝夷奈峠を登ったところにある湿地では現在2か所でオタマジャクシが泳いでいる。

 

   月の沙漠で喉が乾けば君が鎖骨の甘露を汲まん 蝶人