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蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

園子温監督の3つの作品をみる

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闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.787&788&789

 

園子温監督の「冷たい熱帯魚」をみて

 

 私はこの映画を見ながらむかし当時の私の憧れの人が「しかし俺たちはまだ人殺しはしていないからな」と笑いながら語ったことを思い出していた。

 

 完璧に自己を実現しようとする志を持ちそれを達成しつつある強い人間は、私(たち)のような弱い人間にとって魅力的な存在である。

 

 しかし自分以外のすべてをことごとくなぎ倒し、全世界に向かって自己の意志と欲望を獲得していく人間の人世行路は他者の自己実現の否定と裏腹であり、彼の行く先には、他者の抹殺が射程距離に入ってくるだろう。

 

 この映画は、自分にも妻子にも他人にも世界に対しても不如意を感じている普通の男が、完璧に自己実現を貫徹していると確信する男と出会ってそれを果たしたが、その結果すべてを失ってしまうという逆説を驚異的な演出と圧倒的な演技の集積で描き尽くした。

 

 

園子温監督の「ヒミズ」をみて

 

ヒミズ」というのはミミズの仲間のことかと思ったが、「日見ず」すなわちモグラのことであった。映画では3.11の震災地を舞台に、モグラのごとく地下でもがいている若ものの気違いじみた孤独と煩悶が主人公の2人の身に寄り添って執拗に描かれている。

 

震災の痛手から立ち直れないまま、地獄のような世の中をふつうに真面目に生きようとすれば、どのような壁にぶつかるか、その壁を乗り越えようとすればどのような困難が待ち構えているかが噛んで含めるように描かれているとも言えるだろう。

 

映画では、花の歌や頑張れの応援歌や自己励起の掛け声が震災からの復興支援に結び付くという月並みをその冒頭で激しく否定するが、主人公が直面する困難をつぶさに描く中で、最後にはもういちど心からの再生、自立への叫びが画面を揺るがせるのである。

 

2匹のモグラが日の眼を見ずに消え去ることなく、かろうじてこの世界にぶら下がることができたのは、なんとしても良かったとラストでは思わずにはいられない。

 

全編を通じてモーツアルトのレクイエムの冒頭部が鳴らされるが、鳴らしつかれたのかバーバーの「弦楽のためのアダージョ」を混入させるのは愚かなことである。

 

 

園子温監督の「恋の罪」をみて

 

 肉体化されない言葉には生命がない。と同様に人間の動物的本質としての性愛に目ざめない人間も一人前とはいえない。という地点から出発した詩的・哲学的映画は、制服の処女をいわゆるひとつの大人の女に開花させるが、その開き過ぎた隠花植物は速やかに糜爛して燃え尽き、己も他者も滅ぼしていく。

 

燃え上がり、爆発する女の欲情を描く監督の演出は、前人未踏のエランヴィタールに光り輝き、嵐のように疾走してゆくのである。

 

 登場する役者、とくに女性はみな素晴らしいが、劇伴音楽には一考の余地がある。

 

 

 おじいちゃんがアジア大陸を侵略したなんて見ざる聞かざる言わざる僕ちゃん 蝶人