蝶人戯画録

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日本映画あれやこれや連休7連発!

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闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.798、799、800、801、802、803、804

 

 

森一生監督の「悪名波止場」をみて

 

 女どもに金を巻き上げられたりヤクザにつかまって簾巻きにされて殺されそうになったり終始冴えない勝新太郎

 

 そして親分のピンチを助けようともせず女と遊び回っている田宮次郎。

 

 女房を虐待したあげくに殺してしまう水原弘&下手くそな歌を拡散するダサイ青山ミチ、どうにも後味の悪い映画なり。

 

 見どころは小型ソフィア・ローレンのようなお色気を発散する滝瑛子だけ。

 

 

○田中重雄監督の「夜の配当」をみて

 

 繊維会社のリーマン、田宮次郎が脱サラしてトラブル解決会社を設立し、知謀を駆使して大組織に刃向かう。

 

 梶山季之の現代的な原作、田宮次郎の活きのいい演技、老練な山茶花究、のちに田宮の妻となった藤由紀子の可憐さなど見どころの多い1963年の大映映画なりい。

 

 東レなどのテキスタイルメーカーがアパレルを主導し経済界の重鎮であった昔を思い出させる映画でもある。

 

 

新藤兼人監督の「一枚のハガキ」をみて

 

一枚のハガキには「今日はお祭りですが、あなたがいらしゃらないので、何の風情もありません」と書かれている。戦争で2人の夫に死なれ、夫の両親にも死なれ、女一人田舎の陋屋に暮らしている女性(大竹しのぶ)の半生の物語である。

 

いろんな事件があって後、彼女は最初の夫の戦友(豊川悦司)と再々婚して再出発するのであるが、2人の男女が天秤棒に水を汲んで麦畑に水をやる姿こそ、新藤兼人の歴史的名作「裸の島」の最晩年における再現ではないか。

 

私は本作のラストシーンにおいて、不毛の荒地に水を注ぎ、創造の種子を蒔き、営々と耕し続ける100歳の翁の不撓不屈の戦いの姿に接して、大きな感銘を受けずにはいられなかった。

 

 

溝口健二監督の「祇園囃子」をみて

 

浪花千恵子のお茶屋に身をよせる芸妓木暮実千代が、舞妓志願の若尾文子を引き受けたばかりに身も心もボロボロにされ、それでもけなげに生きていこうとする祇園の女地獄物語なりい。

 

うわべだけは絢爛豪華に見えても、その色と欲の華やかな高楼を支配しているのは、資本と権力であり、その非情冷徹な論理が、美しく弱い女たちを残酷に貫いていく。

 

そういう意味では、花柳の巷で呻吟する芸妓、舞妓たちも資本主義の苛烈な戦場に隷属する哀れな性的慰安婦なのだろう。

 

 

加藤泰監督尾の「緋牡丹博徒 花札勝負」をみて

 

その1 小太刀が長ドスに敵う訳はない。

 

その2 一宿一飯の恩義ゆえに大河内伝次郎を死に追いやった高倉健が、どういうヤクザの業界論理でその親分と縁を切り緋牡丹博徒こと藤純子の味方をするのかがいっさい説明されていない。

 

その3 健さんと藤純子が雨や雪が降るからお互いに傘を貸しっこするうちに情を通じて徒党を組むようになったという演出?は昔なら小児左翼病?とでも言われた旧態依然たる星菫主義でおらっちまともに見てられないよ。

 

その4 むかし一度見たはずだが、こんな詰らない映画だとは思わなった。

 

 

○古川卓巳監督の「太陽の季節」をみて

 

 石原慎太郎原作の三文小説を映画化した三文映画で、なぜか裕次郎ではなく長門裕之が主演している。女を妊娠させ堕胎に追いやった若者が女の葬式に洗われて遺影に石を投げつけたら遺族は男を半殺しにするのではないだろうか。

 

 ゆいいつの見どころである男根障子破りのシーンがきちんと撮られていないのは残念だが、ヒロインの南田洋子が輝くばかりに美しい。

 

 

矢口史靖監督の「ロボジー」をみて

 

 2012年製作の邦画で、御年76歳の五十嵐信次郎ことミッキー・カーティスがロボットの着ぐるみ、(だから「ロボ爺」)を演じて世界をあっと言わせる喜劇映画である。

 

 でだしが詰らないので見るのを止めようかと思ったが、だんだん面白くなって、最後は夢中で見てしまった。

 

 考えてみれば矢口史靖は「ウォーターボーイズ」、「スウィングガールズ」の監督だからくだらない作品をつくるはずのない人物であった。

 

 吉高由里子が愛らしく、五十嵐信次郎が枯れた味を出している。

 

 

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