蝶人戯画録

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ミラン・クンデラ著「無意味の祝祭」を読んで

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照る日曇る日第780回

 

 

 巴里のリュクサンブール公園を散歩する男たちの群像が、(もちろんその相方の女性との交渉も含め)、できるだけ長くなり過ぎないように抑制された筆致と短さでスケッチされた哲学的短編小説でして、まあ要するに、「人世の本質は無意味であり、我らはその無意味な日常を楽しむに如かず」と結論付けているようだが、んなこたああんたに言われなくとも、生まれ落ちたときから分かってらあな。

 

 詰らん、詰らん、詰らん、まるで近頃の世の中のような、あるいはまたおらっちの人世のように詰らん小説である。

 

 それでもそんな無味乾燥な古典的テーゼを最後に露骨に打ち出してくるまでに、著者はいろいろな挿話を繰り出して、それでなくとも退屈な小説をできるだけ盛り上げようと努めているのだが、フルシチョフの回想録に出てくるというスターリンの「24羽のヤマウズラ」という挿話だけはちょっと面白い。

 

 ある日スターリンが猟に出かけたら、森に24羽のヤマウズラが木に止まっていた。生憎12発しか弾の持ち合わせがなかったので、とりあえず12羽を撃ち殺してから家に弾を取りに帰り、また現場へ戻って、残りの12羽を撃ち殺した、という。

 

 この自慢話を聞かされたフルシチョフたちは、全員でトイレの中で「そんなバカな、スターリンは大嘘つきだ!」などとと罵り合うばかりで、誰ひとりこれを独裁者のジョークとは思わなかったというのである。

 

 スターリン時代のソ連でジョークを吐けるのは、スターリンだけだったことが分かる。

 

 

1週間前730円でニトリで買った目覚まし時計1時間遅れだったといま気が付いた 蝶人