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蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

鎌倉時代のテロルの現場を歩く その3 和田義盛とその一族の反乱

 

 

茫洋物見遊山記第181回&鎌倉ちょっと不思議な物語第343回

 

 

 前述の「畠山重忠の乱」の8年後に起こったのが、「和田合戦」である。

 

 和田義盛は頼朝の挙兵の時から従い、鎌倉幕府の成立に大きく貢献し、幕府の侍所初代別当(長官)になるが、北条氏と対立。建暦3年1213年2月、一族の中から三人が陰謀の疑いで検挙されてしまう。

 

 この事件で面目をつぶされた義盛は、ずるがしこい北条義時の再三の挑発をこらえきれず、5月2日軍勢を率いて決起し、幕府軍を襲った。

 

 鎌倉市内を巻き込んだ合戦は和田勢に有利に展開したが、あろうことか和田の本家にあたる三浦義村が、血判状まで交わしていたにもかかわらず北条方に裏切り、武運つたなく義盛は敗死し、その一族も滅亡した。

 

 この合戦では、鎌倉十橋のひとつ琵琶橋付近で激しい市街戦が展開されたが、明治二十五年、江ノ電和田塚駅の傍らにこの合戦のときのものと思われる大量の人骨が出て来たので、この地に「和田一族戦没地」の碑が建てられた。

 

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 義盛という人はお人好しで、大男総身に知恵が廻りかねるところがあったので、その性格の単純さ、愚直さを老獪な義時に利用され、陰険な謀略に嵌ってしまったといえよう。

 

 和田氏滅亡後、北条義時は念願の侍所別当を手に入れ、政所別当と併せて専制政治を恣にするようになった。

 

 以上はNPO法人鎌倉ガイド協会の資料をもとに一部小生が改変しつつ記述いたしました。また前回の「畠山重忠の乱」の中で一部「和田合戦」の記述が混入していたことをお詫びいたします。

 

 

  ウラナミアカシジミを今年初めて見ました2015年5月24日午前9時 蝶人