蝶人戯画録

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新編日本古典集成新装版木藤才蔵校注「徒然草」を読んで

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照る日曇る日第803回 

 

 

 久しぶりに兼好法師の「徒然草」を最新版の解説と注釈で読んでみましたらば、これが最新版の芥川賞作家の傑作なんかよりも遥かに面白くて、それは、こちとらが歳をとったせいもあるけれど、やはりそれだけではない、中身の問題であるなあ、と慨嘆賛嘆三嘆させられましたなあ。

 

 後醍醐天皇のクウ・デ・タから失墜、反動壊乱の時代をば、前身は蔵人、半ばは堀川具守家の諸大夫、後半は出家しての歌人、宗教家、思索者として、古稀近くまでいわゆる一つの中世暗黒時代を生き抜いたこのユマニストの真骨頂は、やはりメメント・モリの警世の士、ということにでもなるんでしょうかねえ。←思え!小西得郎

 

 ともかく朝寝して宵寝するまで昼寝して時々起きて居眠りをする、のが人のさが、少年でさえ、あ、という間に背後から死神に襲われて大切な生命を奪われてしまうのだから、ちゃんと人世の目標を掲げて一寸一秒の無駄も惜しんで邁進せよ、などと警告しておりますが、いざ自らが出家してみると、己のその人世の目標とやらが、♪ありそでウッフン、なさそでウッフン、おいらはもしや錯乱坊では、と当惑したのではないでしょうか。

 

 それはともかく、木藤才蔵氏の解説によれば、兼好法師は出家以前に、鎌倉や武蔵国金沢にやって来たらしい。

 

 第百十九段「鎌倉の海にかつをといふ魚は」の、昔は下人も食べなかったのに貴族までもてはやすようになったのは世も末じゃ、という慨嘆も、法師自身が由比ヶ浜で老いた漁師から直接聞き出した逸話でしょうし、第三十四段の金沢八景の海岸には法螺貝よりも小さくて細長い貝がいて「へたなりと申し侍る」と、直接土地の者から聞いたのも、夫子自身なのです。

 

 幕府のあった鎌倉から金沢八景へ行くためには、近所の朝夷奈峠を登り降りしなければなりませんから、どうしたって兼好法師は今からおよそ七百年前に、私の家の近くの峠道を通り過ぎたことになるずら。

 

 この逸話を知った私は、兼好法師という人をいっそう身近な存在に思えるようになったことでした。

 

 

  ほらご覧あれに見ゆるは兼好法師「能ある人は無能になるべし」とぞ 蝶人