蝶人戯画録

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新潮日本古典集成新装版 西行著「山家集」を読んで

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照る日曇る日第810回  

 

西行著はちと変だが、まあ俗名佐藤義清、出家してからは西行を名乗った中世有数の歌人の和歌をスクープしたのが山家集であることは間違いなかろう。

 

これを読んで分かるのは、西行がいわゆる諸国一見の僧であって、京大和、伊勢、高野山紀州はもとより、奥州、中国、四国、九州と全国各地をまるで大旅行家のように行脚していることである。

 

同時代の武家や僧侶、同業物書きライヴァルの鴨長明吉田兼好に比べてもその行動半径は広かったのではないだろうか。

 

しかもその行く先々で歌を残しているから、この「山家集」は一種の“旅歌日記”とも言えそうだ。

 

思うに、西行の代表的な歌は、かの待賢門院などへの恋慕と失恋を詠んだ「恋百十首」と考えられてきたのではないだろうか。

 

いとほしや さらに心の をさなびて 魂切れらるる 恋もするかな

 

が、それらが極めて定型的な恋愛詩であるのに対して、この“羇旅歌”は、西行が現地で見聞したありのままを写実的に描写している“ただごと歌”が多く、そのリアルな表現は、ほとんど現代人のものであると評しても差し支えないだらう。

 

磯菜摘まん 今生ひ初むる 若布海苔 海松布神馬草 鹿尾菜石花菜

 

今ぞ知る 二見の浦の 蛤を 貝合とて おほふなりけり

 

伏見過ぎぬ 岡屋になほ とどまらじ 日野まで行きて 駒試みん

 

後代の芭蕉はこれを読んで、「よーし、おラッチもひとつ西行に倣って旅に出て、こういうリアルな句を詠んでやろう」うと思ったに違いない。

 

もとより西行も時代の子であるから、春夏秋冬の季題にちなんだ名月や、梅や鶯、時鳥などを詠った数多くの作品を残しているが、それらの多くはやはり月並み調に堕しており、彼の代表作は上に挙げた“羇旅歌”や、次に引用するような「個人主義的な視点」が際立つ一味違ったユニークな作品ではないだろうか。

 

わが園の 岡辺に立てる 一つ松を 友と見つつも 老いにけるかな

 

いつかわれ 昔の人と 言はるべき 重なる年を 送り迎へて

 

 

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