蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

偶には映画でもみようっと

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闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.937、938、939

 

 

 

パトリス・ルコント監督の「髪結いの亭主」をみて

 

 相思相愛の一方の若妻が、年配の夫に性交を挑んだあと、激流に身を躍らせる。 もうこれ以上の至福の時はないだろうから、その絶頂で身を絶とうというわけだが、頭の中で思うくらいはいいとしても、実行しては困りますな、お嬢さん。

 

 いくらジコチュウの仏蘭西人でもここまで身勝手な奴はあまりいないだろう。

 

 残された髪結いの亭主には、生活能力なんてありまへん。訳のわからんアラブカタブラアラブダンスを踊りながらくたばっていくのかしら。

 

 いとあわれ。

 

 

ウディ・アレン監督の「マッチポイント」をみて

 

 資産家の娘婿の地位を手に入れた超ラッキーな青年が、色情に目がくらんで手を出した女のために自暴自棄になって殺人を犯すが、幸か不幸かそれが露見しないまま残る人世を死人のように送ってゆかざるをえなくなる暗い黒い話。

 

 ネットにひっかったテニスボールがあちらにおちるか、こっちに落ちるかで人世が変るという冒頭の例え話が、ラスト近くで見事に生かされているずら。

 

 

オットー・プレミンジャー監督の「悲しみよこんにちは」をみて

 

 やもめの父親(デヴィッド・ニーヴン)を慕うファザコンの娘(ジーン・セバーグ)が、父が再婚しようとした大人の女(デボラ・カー)を策略で死に至らしめ、以来いつも悲しい、という話であるが、考えてみればこれは倫理的な殺人行為であり、「悲しみよこんにちは」などという歌を垂れ流して抒情的に悲歎している場合ではないだろう。

 

 常人なら自殺するしかないと思うが、この映画のヒロインや父親は、そうすべきと知りつつずるずると魂の死を生き続けるしかないのだろう。

 

 

 むごたらしく死んぢまったジーン・セバーグちゃんを懐かしく思い出す秋日和かな 蝶人