保坂和志著「遠い触覚」を読んで
照る日曇る日第827回
この本をデビッド・リンチの映画「インランド・エンパイア」や「マルホランド・ドライブ」を見ながらの感想を綴ったエッセイだと云うたら、それはそうかもしれない。
あるいは小島信夫やカフカやベケットやランボオや聖アウグスティヌス、カール・バルト、道元などを読みながら気づいたことどもの思索の軌跡と云うたら、それはそうかもしれない。
あるいはまたこの本は著者が熱愛した歴代の忘れがたい飼猫の思い出の記と云うたら、それはそうかもしれない。
あるいはこの本は現代日本語の表現に関する考察と実験の書と云うたら、そうかもしれない。
あるいはこの本は、エッセイでも小説でもなく、とある映画やとある本や、日常の目の前に転がっているとある素材をネタにして、人世や芸術についてどこどこまでも考え続け、その無限に考える喜びに耽る或る種の快楽的哲学入門書かもしれない。
著者がいうように、書くことと考えることとは、別である。ある本や映画をうわべで理解するだけでなくて、それを本当に自分のものにするためには、とりあえず自分が理解したことを(私がいつもやっているように)適当な文章にしてはならない。
それを行った途端に、私たちはその本や映画を生きることから遠ざかってしまうのである。
一週間におよそ二十の歌を詠むそのほとんどが月並みなれど 蝶人