蝶人戯画録

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中央公論新社の「決定版谷崎潤一郎全集」について

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照る日曇る日第829回

 

 げんざい中央公論新社の創業130周年記念事業として同社から刊行されている文豪谷崎潤一郎の最新版全集を毎号楽しみにしている今日この頃ですが、前からちょっと気になっていることをレポートしておきたいと思います。

 

 谷崎の全集は1930年の改造社版以降何度も刊行されており、今年から出はじめた今回の全26冊シリーズが「決定版」と銘打たれているのですが、知れば知るほどいったいどこが「決定版」なのかあきれてものがいえません。

 

 その理由の第一は、谷崎の代表作である「源氏物語」の邦訳が欠落していることです。それは別枠で同じ中公から出ているから買いなさいということかもしれませんが、「源氏物語」のない谷崎全集なんて、五郎丸の抜けたジャパンラグビー小西得郎の解説のない野球中継、権藤監督のいない大洋ホエールズ淀川長治のいない日曜洋画劇場吉田秀和の音楽評のない朝日新聞尾崎紅葉の連載がない読売新聞(以下略)、のようなものではないでしょうか。

 

 さらにこの「決定版」では「源氏物語」と並ぶ谷崎選手の傑作「細雪」が2冊にまたがって分載されています。これは叢書の書式を簡便軽量にしたかったからでしょうが、その了見が間違っています。

 

 かつてソニーとフィリップスがCDの規格を決めたとき、1枚のCDに搭載する容量をカラヤン指揮ベルリンフィルベートーヴェン交響曲第9番が収録できるように設定したのは有名な話ですが、本全集の編集担当者がまず考慮すべきであったのは、この主著「細雪」を全1冊に収容できる書式をまず決定することであったはずです。

 

 ちなみに小生が愛蔵している昭和41年版の全集には、「源氏物語」も4巻を費やして入っているし、「細雪」も第15巻にきちんと収めています。最新版には旧全集に漏れた新原稿もちらほら入っているようですが、それはチュウチュウネズミのようなもの。「決定版全集」は、ネズミがいてもライオンとゾウのいない動物園のようなもの、岡井隆奥村晃作のいない歌壇、鈴木志郎康のいない詩檀、富士山のない大和です。

 

 重厚長大を嫌う読者の利便を考慮するのは結構ですが、いやしくも「決定版」と銘打つ以上は、死せる谷崎と大編集者滝田樗陰、嶋中元社主がみても満足のいく書式と体裁でなければなりますまい。

 

 最後に問題があるのは全集につきものの解説、解題、月報のたぐいです。私蔵旧全集の月報は毎回10数ページもあって、その中の有名作家によるエッセイや回想録、評論家による充実した作品解説は、各巻の内容に匹敵するくらい読み応えがあります。

 

 ところが「決定版」についているのはそっけない「解題」とたった4ページの「月報」のみ。さすがに月報では当代の有名作家が筆をとっていますが、あまりにもスペースが短すぎるのでどれもこれも通り一遍の走り書きの感想文にすぎず、彼らだってこんな駄文が後世に残されたら恥ずかしいのではないでしょうか。

 

 編集委員の千葉俊二、明里千草、細江光という方々がどのような立派な研究者・権威ある編集者なのかはいっこうに存じ上げませんが、たとえば現在河出書房新社から刊行中の「日本文学全集」の解説や新潮社の 「新装版・新潮日本古典集成」、インスクリプト社の「中上健次集」の月報、解説の比類ない充実ぶりをこの際じっくりと検分していただきたいものです。

 

 それとも右翼進駐軍で文藝音痴の読売新聞社がにらみをきかせているので、旧中央公論社のスタッフにはそのような自由が許されていないのかしらん。

 

 

  日曜の魔法使いの妻がつくる林檎ケーキほど美味きものなし 蝶人