蝶人戯画録

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現代語訳「吾妻鏡 将軍追放」を読んで

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照る日曇る日第836回

 

 吉川弘文館から延々と刊行され続けてきた「吾妻鏡」の現代語訳であるが、これが最終巻かと思うといささかの感慨なしとしない。

 

 結局は源家から権力を簒奪し、ライバルたちを皆殺しにしてその頂上にのし上がった北条一族の統治に都合のよい部分を切り張りした、いわばでっち上げの偽歴史書ではあるのだが、それでも彼らの狡猾な浅知恵をくぐって散見される真史の隠されたスケルトンを脳内で推理してみるのは面白くないこともなかった。

 

 北条の陰険さはこの16巻においてもいやらしく発揮されていて、文永3年(1266年)7月、彼らに盾突き始めた将軍宗尊を、実際は鎌倉から京に追放したにもかかわらず、そのような武ばった記述はどこを探しても見当たらず、あたかも彼が毎年恒例の二所詣を行ったかのように淡々と叙述している。

 

 多くの御家人を冷酷に殺戮したのみならず同族のライバルを周到に始末した北条時頼の恐るべきマキャベリズムを一切描くことなく、さながら聖人君子のように理想化する手口も堂に入っていて、読めば読むほど嫌になる。

 

 その時頼が没し時宗が後を継いだところで「吾妻鏡」が擱筆されているのは、その後の2度にわたる元寇とそれに伴う混乱が、悠長な歴史書編纂の余裕を永久に奪ってしまったからではないかと愚考するのだが、さていかがなものだろうか。

 

 されど些事ながら、弘長3年(1263年)9月大10日の項にある「損傷した金、切銭の使用禁止通達」や文永2年(1265年)3月5日の「大町、小町、魚町、穀町、武蔵大路下、筋替橋、大倉辻の7か所に限って商店の営業を許可する(現在の鎌倉市内のそれとほぼ共通する)通達」はじつに興味深いものがある。

 

 恐らく「吾妻鏡」の本当の価値は偽りに満ち満ちた政治的記述などにはなく、鎌倉時代の経済的社会的データバンクとして貴重な意義を持ち続けていくのであろう。

 

 

  ほんたうの愛を求めてプルーストジェンダーの魔境を軽々と超ゆ 蝶人