蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

出てきた携帯


♪バガテルop22

これで通算4回目か、それとも5回目になるのだろうか? 先週工芸大からの帰途、たぶん新宿から戸塚間の電車内で携帯を落とした私に、およそ一週間経ってなんと小田原警察から拾得の通知があった。正確には小田原警察からの通知を受けたauから私宛に小田原警察へ出頭せよとの通知書が配送されてきたのである。

確か前回は新橋で落としたやつが三鷹で出てきて真夏の街道筋を汗だくでトボトボ歩いてはじめて三鷹警察まで行ったのだった。なんでも親切な若い女性が届けてくださってというので、その女性にひとめお会いしてお礼を言いたいと申し出ると、三鷹署員は私に不純の動機があると思ったのか、急に疑いの眼を向けて、「それは不可です」と冷たく拒んだことをはしなくも思いだした…。

ともあれ出てきたことは慶賀に耐えない。(なんでも2割の人が携帯を落とした経験があり、8割が本人に無事返っているそうだ)
それで昨日は新宿の文化の夏休み前の最後の授業が終るや否や湘南新宿ラインの小田原行きに飛び乗って小田原警察くんだりまで行って、平成十三年製造の苔むした携帯を受け取ってきたのである。

しかし、サラリーマンであった日の私ならばともかく、最近の私には携帯なんて無用の長物である。電車の中で携帯メールやゲームやワンセグにうつつを抜かす連中はほんとうにバカな亡国の民だと思っているので私は絶対にやらないし、電話だって妻以外にはほとんど誰からもかかってこないし、ましてこちらから掛けることもない。

ただ1)時計がなくても時間が分かる。2)以前母親が急死した折に役立ったことがあった。3)たった1度だけこの携帯に小学館から仕事の依頼があった 4)授業日に電車が事故に遭った場合、教務に連絡するには便利だろうと漠然と思っている…の4つの理由からなかなか捨てられなかった。

それで今回の紛失事件をきっかけに、百害あって一利しかないこの文明の利器を断固廃棄処分にしてもう携帯とは縁を切ろうと思っていたのだが、出てきたとなればまあ仕方ない。いちおうまた落っことすまでは可愛がってやろうと思った次第です。

でもよく考えてみれば今でもケイタイなどなくても構わないし、なかった時代のほうがはるかに良い時代だった。私はこんなくだらない玩具を発明して商売の具にした人を軽蔑こそすれけっして尊敬できない。私はケイタイ・ラダイストに賛同する。