蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

2008-04-01から1ヶ月間の記事一覧

2008年卯月茫洋詩歌集

♪ある晴れた日に その26春の宵近江の牛を食べにけり蟷螂の斧振りかざす春の宵修道女の瞑想破る太刀嵐桜花一輪拾いて水に浸す桜咲く今朝の女の薄化粧これ鶯 ホ長調で鳴いてみよト短調で歌うなハ長調で歌え景時の行方はいずこ鯨殿こんな東京に誰がしたんだと慎…

吉田秀和著「永遠の故郷 夜」を読む

照る日曇る日第120回&♪音楽千夜一夜第34回朝の授業のために湘南新宿ラインに乗りながら、この本を読んでいた。小林多喜二がビオラを弾いて著者の母上のピアノとデュオを組んだ話、同じ小樽での年上の女性との初めての接吻、大岡昇平の愛したクリスマスロー…

トルーマン・カポーティ著「ティファニーで朝食を」読む

照る日曇る日第119回イカの次はなぜか宝石である。私はいまのところオードリー・ヘプバーンの「ローマの休日」という映画がいちばん好きで、グレゴリーペックとの別れのシーンを見るたびに嗚咽せざるを得ない人なのだが、そんな素敵な映画に主演したヘプバー…

中沢新一・波多野一郎著「イカの哲学」を読む

照る日曇る日第119回チョウの続きは、イカの話である。「ある丹波の老人の物語」の主人公がその生涯で最も大きな影響を受けた偉大な実業家にして宗教家、それが郡是を創業したクリスチャンの波多野鶴吉であったが、本書はその翁の孫である波多野一郎氏の遺著…

日高敏隆著「チョウはなぜ飛ぶか」を読む

照る日曇る日第118回 私は昔からチョウが好きだった。私自身やあまたの人間どもよりもずっとずっと好きだったし、その思いは近年ますます強まってくるばかりだ。そして私は今でも遠方を飛翔中のチョウを一目見ただけでその名前をほとんど誤またずに言い当て…

日本と中国の今昔 鐘江宏之著「律令国家と万葉人」を読んで

照る日曇る日第117回前回に触れたように、本書のテーマは倭と中国、日本と中国の濃密な関係である。全体的には当初朝鮮半島の百済、新羅、高句麗の影響を受けていた当時の倭、後の日本が、701年に制定された大宝律令の頃から次第に東アジアの先進国である中…

箱根旅行

♪ある晴れた日に その25そよ風は湿生花園を駆け巡り箱根連山雲湧き起こる一輪草二輪草てふ白き花おなじ姿で寄り添いにけり空や木や山を冷たく映せる池ありてシュレーゲルカエルしげく鳴きたり近づけば両の腕大きく空に広げいまわれを抱かんとするシデコブシ…

倭から日本へ 鐘江宏之著「律令国家と万葉人」を読んで

照る日曇る日第116回&ふあっちょん幻論第19回 小学館から出ている「日本の歴史」シリーズの第3巻飛鳥・奈良時代編であるが、先の2巻と同様最新の学説や知見が随所に盛りこまれており、なかなか勉強になる。 本書では、5世紀から8世紀までの倭と日本の歴史を…

職人気質

♪バガテルop54しばらく前にキッチンを修理し、去年は自宅の北側の壁が腐りかけていたのでトイレと一緒に修理し、やれやれこれで終わりかと乏しくなった財布の底をながめてため息をつきながらもほっとしていたら、今度は便所の隣の浴室のねだが腐っていること…

続「大江広元の墓」の謎

鎌倉ちょっと不思議な物語114回「十二所地誌新稿」にまたまたいう。明治初年、地制改革のときは、わが十二所村の名主は啓左衛門翁であった。山林、田畑の実測に役人が来るというので、村人はまた大江広元公の墓が見つかるとうるさいからと、若衆たちが集まっ…

荒岱介著「新左翼とは何だったのか」を読んで

照る日曇る日第115回60年代の終わりからから80年代の前半までわが国の政治、社会に影響を及ぼした新左翼の活動を、第2次ブント社会主義学生同盟委員長で三里塚や東大安田講堂占拠闘争で3年有余下獄した著者が“できるだけ客観的に”振り返っている。私は当時ノ…

ガルシア・マルケス著・旦敬介訳「十二の遍歴の物語」を読む

照る日曇る日第114回「族長の秋」を発表してからあと、18年間にわたって書き継がれてきたマルケスの十二の短編集である。とりわけ最初の2編「雪の上に落ちたお前の血の跡」と「ミセス・フォーブスの幸福な夏」は圧倒的に素晴らしい。 本書のまえがきで、マル…

ガルシア・マルケス著「予告された殺人の記録」を読む

照る日曇る日第113回「愛の狩人は鷹に似て高きより獲物を狙う」というジル・ヴィセンテのエピグラムを巻頭に掲げたマルケスは、天空はるかなる視点から、おのれを神に擬し、1951年1月22日に彼と彼の家族が実際に身近に体験したこの殺人事件をメタ・ドキュメ…

春風の丘に立つ

車も化粧品もアパレルも、世界市場の使命を制するのはBRICsわけてもアジアのマーケットである。昨日は2つの学校で私の今季のヒジョーキン生活が始まったが、韓国、中国、香港、台湾の学生の元気な表情が印象的だった。日本人に元気がないとはいわない。日本…

「大江広元の墓」の謎

鎌倉ちょっと不思議な物語113回 「十二所地誌新稿」にまたいう。扇が谷の大倉山に大江広元の墓と称するものが存するが、それが本物ではないことは今日では定説になっている。大倉山のそれは規模から見ても大名のものであることは間違いがなく、一説には北条…

大江広元邸旧蹟再論

鎌倉ちょっと不思議な物語112回以前触れた大江広元旧跡について、「十二所地誌新稿」によりくわしい説明があったので再録しておこう。屋敷跡は明石が谷一帯の地にあって、西は頂輪房に接し、北は船玉山をだきこみ、東南は一心院の旧蹟に及び、東方は羽黒山の…

長楽寺再訪

鎌倉ちょっと不思議な物語112回&鎌倉廃寺巡礼その8 長楽寺は、長谷の鎌倉文学館の隣にあった。「日蓮聖人御遺文」「日蓮上人註画賛」によれば、この寺には日蓮が眼の敵にするかなりの高僧がいたらしいが、それは「鎌倉志」に「この寺法然の弟子隆寛住セシト…

続・荻原延壽集第4巻「東郷茂徳」を読んで

照る日曇る日第112回東郷は終始基本的には国際協調主義に立脚し、欧米、アジア、ロシアとの戦争を回避すべく職を賭して戦い、ナチスや日本の右翼、三国協定枢軸派の政治家たちとつねに一線を画す独自の外交を行なった。彼はまた珍しくも対ソ協調路線を終生に…

荻原延壽集第4巻「東郷茂徳」を読む

照る日曇る日第111回東郷茂徳は、明治15年1882年朴茂徳として鹿児島県苗代川に生まれ、昭和25年1950年当時米陸軍ジェネラル・ホスピタルと称された聖路加病院で69歳で死んだ。本書は彼の生涯の事績を丁寧に振り返った伝記である。苗代川の来歴は秀吉の文禄・…

大江広元の屋敷と墓

鎌倉ちょっと不思議な物語111回大江広元(1148〜1225)は「おおえのひろもと」と読み、母中原氏に養育された文人である。この人は平安時代に京の朝廷に仕えた能吏匡房(まさふさ)の曾孫であるが、源頼朝に招かれて鎌倉初期の幕府重臣となってから水を得た魚の…

続・春宵源語

照る日曇る日第110回 無学な私は、あの膨大な源氏物語を原文で読むことなどできないので、仕方なく与謝野晶子や谷崎潤一郎や橋本治の現代語訳で読んでいる。三者三様苦心の名訳であるが、これをベートーベンの交響曲の指揮者にたとえれば、与謝野は直情径行…

春宵源語

照る日曇る日第109回源氏物語が書かれてからすでに1000年以上の歳月が経っているが、紫式部という女性はまあなんとすごい長編小説を世界にさきがけて書いたものだと思わずにはいられない。 紫の上、夕顔、空蝉、女三の宮、六条御息所、明石等々、とても魅力…

常楽寺はどこだ?

鎌倉ちょっと不思議な物語111回&鎌倉廃寺巡礼その8 常楽寺は「十二所地誌新稿」によれば、かつての栄光学園、現在のカトリック修道院の入口の辺にあったというから、ちょうどこの写真の場所であろう。十二所バス停すぐである。ここらへんはまた鎌倉の代表的…

昌楽寺発見

鎌倉ちょっと不思議な物語110回&鎌倉廃寺巡礼その7 鎌倉廃寺事典には、「「風土記稿」に、十二所に昌楽寺谷の字があるという」としか記されていないが、わが地元史「十二所地誌新稿」には、「生楽寺谷、寺の谷戸にあった。古地図によると小谷戸の入口であっ…

能満寺を尋ねて

鎌倉ちょっと不思議な物語109回&鎌倉廃寺巡礼その6 能満寺については「風土記稿」は「小名川の上にあり」と伝えるだけでいっこうにわからない。「十二所地誌新稿」には、「川の上の裏山、学園の辺にあって「上の寺」と称した。今その付近に石塔などが多少あ…

一心院跡の春

鎌倉ちょっと不思議な物語108回&鎌倉廃寺巡礼その5 ここはわが十二所の明石ヵ谷である。 すぐ近くにはいま値下げ問題で話題のガソロンスタンドがあり、右に曲がればハイランド、直進すれば鎌倉霊園という交差点を霊園方向に10m進んだ左側にこの古刹があっ…

網野善彦著作集第9巻「中世の生業と流通」を読む

照る日曇る日第108回この本は、古代から中世、近世までの製塩、漁労、桑と養蚕、紙、鉄器などの「主要非農業生産物」の生産と流通にかんする歴史を概括している。 注目すべきことは、古代から現代まで女性が糸、絹、綿、繭を商人に販売していたことである。…

ジャパンちゃちゃちゃ

ふあっちょん幻論第18回 20世紀の10大トレンドその10「ジャパニーズデザイン」20世紀のアパレル・デザインに対して日本人のデザイナーたちは大きく貢献するとともに 世界のファッションの中心軸を、アジアのほうへ拡散させた。 60年代 森英恵 NY進出 …