蝶人戯画録

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中沢新一・波多野一郎著「イカの哲学」を読む


照る日曇る日第119回

チョウの続きは、イカの話である。

「ある丹波の老人の物語」の主人公がその生涯で最も大きな影響を受けた偉大な実業家にして宗教家、それが郡是を創業したクリスチャンの波多野鶴吉であったが、本書はその翁の孫である波多野一郎氏の遺著「イカの哲学」を再発見した中沢新一による絶対平和論への試みの書である。

特攻隊の生き残りで戦後ソ連の炭鉱で4年間の強制労働に従事した波多野氏は、米国スタンフォード大学プラグマティズムを学んだ在野の哲学者であった。そして氏は大学の夏休みにカリフォルニアの風光明媚なモントレーの海(私の懐かしき曾遊の地、あんな土地に住んでみたいものだ)で取れたイカの冷凍加工アルバイトをしながら彼独自の生命哲学を体得するのであるが、著者は彼の「イカの哲学」の中に人間のみならずイカやさまざまな動植物の生命価値をヒトと同等に尊重する絶対平等絶対平和の思想を見出し、それが21世紀の人類と地球の運命を変える可能性を秘めていると説くのである。

せんじつめれば、人間中心主義による通常の平和論では人間の遺伝子に内蔵された戦争を発現せざるを得ないが、「イカ中心主義」に立脚し、知性と生命あるものすべてが、生ある森羅万象の生命の実存のかけがえのなさを体得すれば、戦争を不可能にする契機を見出すこともあながち不可能ではない、というのが波多野哲学のいちばん大切なポイントではないかと私は思った。

基本的には金子みすゞの「大漁」や宮沢賢治の「ヨダカの星」「銀河鉄道の夜」の世界に通底する大悲・大慈の思想ではないだろうか。

朝やけ小やけだ
大漁だ
大ばいわしの
大漁だ

はまは祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
いわしのとむらい
するだろう

この金子みすゞの視点である。

油の乗り切った当代一流の思想家が、ジョルジュ・バタイユのエロチシズム論を引用したり、生物学の知見やら卓抜な比喩や飛躍など次々にお得意の知的な装置を繰り出して、波多野氏の簡潔な著作を重層的に深読みしていく手際はあざやかだ。

けれども、中沢ファンとして人後におちないと自負するわたしではあったが、あまりにも性急かつ激烈で我田引水が過ぎるように感じられる彼の熱弁に耳を傾けているうちに、重い主題をわざと軽やかに取り扱い、絶妙なユーモアとウイットのセンスを生かした原著者の熟した心根がどこかでおいてけぼりにされているような気持にさえなってしまったのは自分でも思いがけないことだった。


♪しゃがたんぽぽすみれなのはなちゅーりっぷしろやまぶきけふわがにわにさけるはなばな 亡羊