蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

2007-08-01から1ヶ月間の記事一覧

ある丹波の老人の話(48)

第8話 思い出話3それから昭和15年に上海に行ったときのことです。私はホテルから外出しての帰り道、街の見物をしようと思い、地図を買い、それを頼りに電車が走っている大通りから外れてとある横道に入っていきました。ちょうど夕刻で中国人たちはみんな軒…

ある丹波の老人の話(47)

第8話 思い出話2米国からの帰路、私はシアトルから加賀丸という大きな船で北回りで帰る途中、猛烈な防風に遭いました。どの船室にも水が浸入して乗客一同生きた心地もなく、食事どころの騒ぎではありまへん。けれども私はこのときひたすらに神に祈って動じな…

ある丹波の老人の話(46)

第8話 思い出話1928年(昭和三年)、世界日曜学校大会に出席した私は、当時のアメリカ各地を漫遊していろいろ珍しいものを見物しました。バークレー市のカリフォルニア大学では電子顕微鏡を見せてもらい、さらにはトーキーも実際に見ることができました。そ…

「夏の歌」

♪音楽千夜一夜第25回&遥かな昔、遠い所で第19回毎日ロンドンのロイヤルアルバートホールから生中継されるプロムスを聴いている。今年7月13日にビエロフラービック指揮BBC響のエルガーとウオルトンに始まった「プロムス07」の終焉は来月の8日。すでに会期…

ある丹波の老人の話(45)

第七話 ネクタイ製造最終回ネクタイの生命は柄にあります。これで他店にヒケを取ってはならん、と私は京都高等工芸出の意匠図案係三人に欧米の流行を参考にするようにと指示して研究させました。この頃、私は郡是でスンプという機械が発明されたという耳より…

ある丹波の老人の話(44)

第七話 ネクタイ製造その5まことに小林さんらしい、パリッとしたご挨拶でありました。それから私の会社と阪急との間にお互い誠意を尽くした取引が始まりました。それは好いのですが、私は小林さんに首を切られた仕入れ係が気の毒でたまらん。その3人を私の店…

網野善彦著作集第15巻「列島社会の多様性」を読む

降っても照っても第45回本巻収録の論文「境界領域と国家」において、著者は公=パブリックなものを、境界的な場、人、物=「公界」的なものと公家、公方、公儀など国家の公的権力につながるものとに峻別しようとしている。 欧州でも、神仏あるいは聖なる世界…

ある丹波の老人の話(43)

第七話 ネクタイ製造その4小林社長は、商品を担当者にも見せ、一応は商品の優秀性を認めてはくれたんですが、値段があまるにも安いのを不思議がり、しきりに小首を傾けるのです。そこで私は、それは私の店では他店の如く仕入れ係への高い運動料を含まない分…

ある丹波の老人の話(42)

第七話 ネクタイ製造その3 私が設立した東洋ネクタイ製織所は、波多野鶴吉翁が郡是を経営した精神に学び、次のような願いを定めました。吾等の念願 1イエスキリストを当社の社主と奉戴して日々その聖旨に従い、之を忠実に行はんことを期す。 2キリストの教訓…

ある丹波の老人の話(41)

第七話 ネクタイ製造その2さて米国から帰国して早速熱心に郡是に靴下製造を勧めてみたんですが、遠藤社長、片山専務はあくまでも製糸一本槍を主張し、私のいうことなどにはてんで耳を貸しまへん。ただしかし、たった一人取締役の平野吉左衛門氏だけは、あの…

ある丹波の老人の話(40)

第七話 ネクタイ製造昭和3年、世界日曜学校大会が米国ロスアンゼルスで開かれたとき、私は高倉平兵衛氏と共に、日本代表メンバーの中に選ばれて渡米しました。そのとき私は、日本の主要輸出品である生糸の消費状況に特に注意を払うて視察を行いました。米国…

弟の死

ある丹波の老人の話(39)その時弟は、死んだ妻の事を「実に良い姉さんやった」と褒め、「私が酒を止めたあと、この兄さんの家へ来て泊まるとき、姉さんはいつも土瓶の中へお茶とみせかけて酒を入れ、私の枕元に置いて飲ませてくださったもんでした」と白状…

ある丹波の老人の話(38)

第6話弟の更正 第6回お互いに心の奥底まで打ち明けて兄弟の溝はすっかり取れました。私たちは、弟が京都へ奉公に行ったときのことなどを思い出して、神の前に幼子となり、兄弟力を合わせて一仕事やろうと誓い合ったんでした。そして弟は、私の希望を容れて酒…

ある丹波の老人の話(37)

第6話弟の更正 第5回さて色々と周りに迷惑を掛けてきた私のこの弟でしたが、私はこの際、父の形見という意味で3,4千円の金をやって、好きなところへ行って好きな仕事をさせようと思いました。本音をいいますと、この道楽者とは後難のないようきっぱり縁を切…

♪バガテルop26

戦後62年。色々な問題が山積しているにもかかわらず、我々が他国との戦争に巻き込まれずにすみ、こうして表面は平和な日常を享受していることは、それ自体が奇跡的であり素晴らしいことである。それにしても今日は終戦記念日ではなく、敗戦記念日である。 戦…

アア伝統の松竹映画市川昆監督の「映画俳優」を観る

降っても照っても第44回午後からはまたしても紺碧海岸に遊泳し、夕べには古式豊かに御霊の迎え火を執り行ったのであるが、夜寝かれぬままに新藤兼人原作、市川昆監督、吉永小百合主演の「映画俳優」という映画を観るともなく見ていて、成程これは名優田中絹…

カトリック雪ノ下教会

鎌倉ちょっと不思議な物語71回私の家はキリスト教の新教、いわゆるプロテスタントであった。幼い頃はまじめに日曜学校に通って、ルター以来のピューリタンでストイックな精神に多少の影響を受けたと思う。そのピューリタンでストイックなところは教会の簡素…

旧安保小児科医院

鎌倉ちょっと不思議な物語70回鎌倉には景観重要建築物が28箇所あるが、そのひとつが平成7年まで小児科病院だったこの建物である。この病院は夏目漱石が亡くなった翌年の1917年(大正6年)に小町で開業したが、関東大震災で倒壊し、この四つ角の地で再建され…

花火と海水浴

♪バガテルop25昨日は恒例の鎌倉花火大会だった。車で駅前まで送ってもらい長男と裁判所前の低い塀に腰掛けてしばらく見物してから豊嶋屋の前の臨時バス停まで歩き、八景行きに乗って帰宅した。今年はあまり観客が多くないのがとても良かった。一の鳥居と二の…

網野善彦著作集第13巻「中世都市論」を読む

降っても照っても第43回毎日暑い日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか? 私の家は冬は隙間風が入って寒いけれど、夏は極めて快適そのもの。エアコンなど1台もないのに、このおんぼろ木造モルタルには冷風がびゅんびゅん吹き込んで、セミたち…

四方竹

鎌倉ちょっと不思議な物語69回ここは朝比奈の切り通しの入り口である。右側に高台があって最近まで土建屋が不法に占拠し、石材置き場に使用していたが、市民と市の勧告に従って更地に戻した。それがもしかすると私が平成十三年に意を決して行った市長への陳…

青山真治の「サッド・ヴァケイション」を観る

降っても照っても第42回30度を超える猛暑の中、私は街頭で死すとも可也の悲壮な決意で東京まで出撃し、青山真治という人の「サッド・ヴァケイション」という映画の最終試写を見た。この映画は北九州を舞台にした北九州語による北九州映画である。最近奈良で…

島田雅彦著「カオスの娘」を読む

降っても照っても第41回島田雅彦はルックスも良いけれど、頭もとても良い作家なのでいろいろ考えた作品を書く。多彩な現代社会を切り取る多彩なアプローチってやつだが、それがうまくいった例はあまりない。本作ではいま最新流行のスピリチュアル世界に侵入…

音楽鑑賞メディアは進化したのか?

♪音楽千夜一夜第24回世間ではCDが売れなくなり、その代わりにi-tuneなどネットで音楽ソフトを買い、それをi-podなどで聴くというスタイルが主流になったそうでまことに慶賀に耐えない。しかしmp3などの圧縮法を経由した音楽の音質はかなりひどいもので、私…

鎌倉ちょっと不思議な物語68回

ハリス記念鎌倉教会鎌倉駅の東口を出て右折し、海に向かってどんどん歩く。下馬四つ角を過ぎた右側のちょっと凹んだところに、ゴシック調の美しいこの教会が建っている。市の指定景観重要建築物である。創建は1897年(明治30年)、当初は木造の聖堂であった…

由比ガ浜にて

♪バガテルop24 今年2度目の海水浴に行ってきました。少ない海水浴客を呼び込もうと懸命に声を張り上げる海の家のアルバイトさん、小さなボートに三人の子供を乗せて波打ち際で遊ばせるお父さん、強い風から幼い妹を守るために両手で抱いてやるこれも幼い兄………

山吹の里

遥かな昔、遠い所で第18回いづれの御時にか、私は早稲田の裏の裏にある都電に乗って飛鳥山の麓にある滝野川までの存外に長い時間を行き来していた。その途中には大塚や巣鴨や雑司が谷の墓地などもあったが、帝都の北の滝野川一帯はごちゃごちゃした庶民の町…

亮朝院

遥かな昔、遠い所で第17回&勝手に建築観光24回私は早稲田界隈から次第に遠ざかりつつある。 ここは最初に訪れた中原中也の愛の巣から遠からぬ距離にある亮朝院である。江戸時代には有名であったが、この節はほとんど知られていない日蓮宗の古刹である。創建…

坪内博士記念演劇博物館とシェークスピア

遥かな昔、遠い所で第16回&勝手に建築観光23回 私はずいぶん昔から、このあたりにちょっと気になる時代がかった建築物があることは知っていた。しかし実際にこの場所に足を運び、16世紀イギリスエリザベス朝時代の劇場「フォーチュン座」を模して今井兼次ら…