蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

2007-12-01から1ヶ月間の記事一覧

さらば2007年 亡羊師走詩歌集

♪ある晴れた日に その18 満月やわれに二、三の憂いあり土佐文旦優しき母の匂いなり糞1個ひり出す午後の寒さかなベット・ミドラーのインタビュー アイアイアイと私が五月蝿いイヴ・クラインの青切り裂くやF30大空を2つに切り裂くF-4EJ袈裟懸けに双子座より…

空の空なる空はない

♪バガテルop32&鎌倉ちょっと不思議な物語94回ひところの私の趣味はデジカメで毎日自分の顔と空の写真を撮ることだったが、最近は空を飛翔するものを撮影することに「固まって」きた。飛翔するものならトンビでも烏でもスズメでもUFOでも何でもいいのだが、…

五味文彦著「王の記憶」を読む

照る日曇る日第81回&鎌倉ちょっと不思議な物語93回 京都、奈良、鎌倉、平泉、博多、鳥羽、六波羅、宇治、鎌倉などの都市の形成や発展にまつわる記憶を、それぞれの王権の成立と対置しながら描き出す著者の会心作である。鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉という蕪…

ジョン・アーヴィング著「また会う日まで」を読む

照る日曇る日 第80回05年に出たジョン・アーヴィングの最新刊が本書である。上下2巻約2500枚の原稿は書くも書いたり、訳も訳したり、そして読むも読んだりの大長編である。それを簡単に要約すると、著者を思わせる少年がまだ見ぬ父に再会するまでのあ…

ある丹波の女性の物語 第38回 夫と父

遥かな昔、遠い所で第60回 父と一人娘と養子、というだけでも仲々むずかしい人間関係であるのに、継母との関係もあり、父の積極的な性格に、養子タイプのおとなしい夫の性格は相反して、却って相性がいいのではと、私は思ったのであるが、綾部での同居の生活…

ある丹波の女性の物語 第37回 大阪

遥かな昔、遠い所で第59回 9月22日に次男が生まれた。産湯を使うと、一番大きい盥にいっぱいになるような大きな子であった。 その後、商店街は次々店が開き、戦前の体裁がととのうようになった。 我が家も夫の就職口もなく、店を再開しょうと私は父と大阪…

鈴木清順監督の家

鎌倉ちょっと不思議な物語92回クリスマスイブイブの夜に義母と話していたら、彼女たちが昔住んでいた長谷の家は、映画監督の鈴木清順氏の旧宅だったというので驚いた。そこは吉屋信子邸の斜め前にあって、私もある夏の日に一度だけ訪ねたことがあったが、い…

日曜日が待ち遠しい

鎌倉ちょっと不思議な物語91回毎年恒例の市の健康診断を受けた後、横須賀線の鎌倉駅の裏駅のそばを自転車で走っていたら、線路際の料亭『吉兆』が営業を終了していた。この日本料理の店は私の近所の人が経営していて、一時はマスコミにも大きく取り上げられ…

ある丹波の女性の物語 第36回 ズンドコ節

遥かな昔、遠い所で第58回 そんな暮らしが2、3年も続いた。追々ヤミ商品が街に沢山並ぶようになり、古着も店につるされて売買されるようになった。お金さえあれば、何でも買えるようになったが、貯金は封鎖され新円に切り替えになった。教会の礼拝に行って…

ある丹波の女性の物語 第35回 虚弱体質

遥かな昔、遠い所で第57回 早々に復員が始まり、内地に配属されていた近所の人達も帰って来た。 暫くしてガダルカナルで戦死した番頭の兼さんの遺骨も帰って来た。父が引き取りに行き、夜おそく提灯をつけて兼さんの自宅に遺骨は帰った。出征時おなかにいた…

より良い古典音楽演奏を求めて

♪音楽千夜一夜第30回例えば下手な絵描きが描いた下手な絵が、3次元の絵画的空間ではなく、単なる絵の具の堆積として私たちの目に映ることがありますが、ジャンルは異なるとはいえそれとまったく同様な「展覧会の絵」現象がいま全国のコンサート会場で起こっ…

徳富蘇峰著「終戦後日記?」を読む

照る日曇る日 第79回 徳富蘇峰は1863年熊本生まれで福沢の慶応を嫌って京都に出て新島襄の同志社に学び、1887年に民友社を設立して「国民乃友」「国民新聞」などの有力メデイアを発行しいわゆる平民主義を唱道した。 明治、大正、昭和の3代を生き延…

NHKは大好きなのですが、N響が

♪音楽千夜一夜第29回先日の「第9」公演では、近くに座った中年男が演奏中にさかんに巨大な望遠レンズをつけたキャメラで舞台を撮影していました。鎌倉の芸術観ではよく頑是無い赤子を泣かす若い母親がいたり、いびきを立てて爆睡するリーマンがいたりします…

下手な小説のような松木武彦著「列島創世記」を読む。

照る日曇る日 第78回石器時代から縄文、弥生、そして古墳時代に入るまでの、のちに日本列島と呼ばれることになる地域の歴史物語が、本書である。あえて物語と書いたのは、この本が単なる石器や土器やらの物理的資料本位の考古学&歴史学概説にとどまることな…

♪日本語で歌う「第9」演奏会を聴く

♪音楽千夜一夜第29回最近ドイツの長老指揮者ハンス・マルチン・シュナイトを音楽監督に迎え、人気、実力とも赤丸上昇中のオケなのでとても期待していたのだが、結果は見るも、じゃなくて聴くも無残なものだった。冒頭の「エグモント序曲」で最初の野太い音が…

坂口弘著「常しへの道」を読む

照る日曇る日 第77回1972年2月19日のあさま山荘事件で警察官2名、民間人1名が射殺され、同年3月に群馬県の山林で12人、千葉県で2人のリンチ殺人が行なわれた。そしてこのすべての事件に直接かかわっていた坂口弘の2番目の歌集が、この「常しへの道」である。…

ある丹波の女性の物語 第34回 敗戦

遥かな昔、遠い所で第56回 8月15日正午の終戦の放送は、ほんとにホットして開放されたという思いがした。 灯火管制がなくなり、明るい電灯の下で、晴れがましいような思いで夕食を食べた。 その記憶はこの間のように、ハッキリ思い出す事が出来るのに、そ…

ある丹波の女性の物語 第33回 戦後、幼い子供達

遥かな昔、遠い所で第55回 昭和19年に入るとあらゆる物が統制になり、店の営業は殆ど出来なくなってきた。これからは食べる事だけのために生きているという時代になったのである。 綾部のような田舎でも灯火管制が行われ、町内会で防空壕を掘り、飛行機の…

ソープオペラ

♪バガテルop31&♪音楽千夜一夜第28回さてお立会い。水はちゃらちゃら御茶ノ水、粋な姐ちゃん立ちしょんべん…… では皆さん、ここで小粋な住宅について考えてみると、縄文時代の早期はほとんど円形または楕円で、後期になると四角、弥生時代には竪穴から平床で…

ある丹波の女性の物語 第32回 継母

遥かな昔、遠い所で第54回 私は翌年10月出産と分かり、夫を東京に残し綾部へ帰った。9月はじめと思う。綾部へ帰れば食糧は何とでもなると安心していた私は、留守中の夫の為に、私の移動申告をしないで帰ってきたのであるが、帰る早々お米の配給がもらえぬ…

ある丹波の女性の物語 第31回 本郷、青山、銀座

遥かな昔、遠い所で第53回 日曜日には時々主人と共に本郷教会へ礼拝に出かけた。教会も階下は食糧倉庫になっており、礼拝を守る人数も少なくなっているので、会議室のような所で行われたが、安井てつ女史が黒紋付の羽織姿でいつも出席され、賛美歌の奏楽は大…

宮本常一著「なつかしい話」を読む

照る日曇る日 第76回民俗学者の宮本常一が生前行なったいくつかの対談のアンソロジーでどこからでも読めて、どれも題名どおりに懐かしい気分につつまれるいわゆるひとつの「珠玉の名篇」である。とりわけ面白いのは歴史家の和歌森太郎との幽霊対談で、実際に…

ある丹波の女性の物語 第30回 等々力

遥かな昔、遠い所で第52回 父は私達の結婚に先立ち、園部の教会員の未亡人と再婚した。 私の夫は水道橋にある統制会社につとめていたので、本郷などでは留守番をしてくれるならと、大きな家でも10円位で借りられたが、当時はもう疎開がはじまっており、安…

ある丹波の女性の物語 第29回 谷中

遥かな昔、遠い所で第51回 父はその帰路、谷中の伯父の家へ連れて行ってくれた。そこは公然の秘密にはなっていたが、私の生母の兄の家であり、母の実家であった。 上野の下町から坂を上がって行くと全くの住宅地があった。玄関をあけると「ガラン、ガラン」…

ある丹波の女性の物語 第28回 結婚

遥かな昔、遠い所で第50回 翌18年、京都のネクタイ工場は強制疎開でこわされてしまった。戦況は日に日に悪化していたが、国民には知らされていなかった。 10月11日、東京本郷教会に於いて私は田崎牧師夫妻の媒酌により、根岸精三郎を養子として迎える…

ある丹波の女性の物語 第27回 母の死

遥かな昔、遠い所で第49回 昭和16年3月、寒い日であったが父は丹陽基督教会の代表として、綾部警察署に留置された。母は病床にあったが、みんなが私を力づけてくれた。毎日食事を差し入れに行くお手伝いさんの「おはようございます。」と言う大きな声に、…

ある丹波の女性の物語 第26回 結婚前後 

遥かな昔、遠い所で第48回 幼い日の思い出は私の心の中でもう風化しているので、それなりに美しくなつかしいものとして蘇って来るので、あまり考える事もなくペンを進めて来たが、結婚前後、苦しい戦時中の事となると、何となくためらいがちになるが致し方な…

網野善彦著「無縁・公界・楽」を読む

照る日曇る日 第76回いまから四十年の昔、「なぜ平安末・鎌倉時代に限って偉大な宗教家が登場したのか?」と都立北園高校の1生徒に問われた著者は教壇で絶句してしまう。 しかしその難問に対するおよそ10年後の回答が、中世のみならず日本史全体の書き換えを…

ある丹波の女性の物語 第25回 京都へ

遥かな昔、遠い所で第47回 翌昭和13年春、綾部高女を卒業した私は、京都府立第一高等女学校補習科に入学した。 一学期は銀閣寺近くの寄宿舎に入った。綾部からは薬屋さんの娘さんと二人であった。朝寝坊すると電車では間に合わなくなり、荒神口まで35銭…

ある丹波の女性の物語 第24回 修学旅行

遥かな昔、遠い所で第46回 そんな中でベルリンオリンピックがあり、日中戦争も激しさを加えて行った。 昭和12年5月には、憧れの東京への修学旅行が行われた。あらたに、伊勢神宮参拝がプログラムの最初に加えられ、東海道線を横浜へと向かった。車窓いっ…