蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

日曜日が待ち遠しい


鎌倉ちょっと不思議な物語91回

毎年恒例の市の健康診断を受けた後、横須賀線の鎌倉駅の裏駅のそばを自転車で走っていたら、線路際の料亭『吉兆』が営業を終了していた。この日本料理の店は私の近所の人が経営していて、一時はマスコミにも大きく取り上げられ、クロワッサンなどの雑誌を硬く握り締めたおばさん集団が門前市をなして詰め掛けていたが、好事魔多しでなにかまずいことがあったのだろう、広大な自宅もいつの間にか取り壊されていた。

そのほか鎌倉ではT工務店が倒産して一家が夜逃げしたという噂だし、日本経済の再びの地盤沈下と小泉格差政策の荒波をかぶってあちこちでよからぬ事件が起こっている。物言えば唇寒き師走である。

踏切を越えて小町に入ると、「Vivement dimanche!」なる喫茶店がある。最近世間ではこの「きっちゃてん」という立派な日本語をリストラして、得体の知れないカフェーという呼称に全面的に切り替えようとしているが、「Vivement dimanche!」というおふらんす語をつけていはいても、実態は普通の喫茶店である。店主がトリュフォーの大ファンらしく、店の外装や内装もカラフルで、とりわけ奇妙な看板が印象的である。

Vivement dimanche!というのはフランソワ・トリュフォーというフランスの映画監督の作品のタイトルである。邦題では『日曜日が待ち遠しい!』とネーミングされたこの作品は、前作の『隣の女』に続いて、彼の短い晩年の最後の恋人であったファニー・アルダンが主演し、共演がジャン・トランティニヤン、音楽はお馴染みジョルジュ・ドリリューのコンビによる小粋なサスペンスコメディであるが、何度鑑賞しても白鳥の歌とも思えぬその軽やかな疾走感が、残された私たちをかえって悲しませる。

当時トリュフォーはすでに不治の病に冒されており、翌1984年10月21日の日曜日に亡くなってしまうので、『日曜日が待ち遠しい!』は彼の遺作になってしまった。
私はちょうどその頃、彼を起用してテレビコマーシャルを製作しようと考え、すでにその了承ももらっていただけにこの突然の訃報はショックだった。

しかし幸い同じヌーヴェルヴァーグの監督ジャンリュック・ゴダールが、死せるトリュフォーに代わって私の「世界の映画監督シリーズ!」第1回の企画を救済し、2本のCMを作ってくれたことは大きなよろこびだった。1968年のカンヌ国際映画祭がきっかけで決別したこの2人の間を私が製作したCMがつないだことを思うと、その世にも不思議な奇縁に我ながら驚く次第である。

しかし思えばトリュフォーは、ジャン・ルノワール、オーソン・ウエルズ、ヒッチコックの剄い系譜を受け継ぐアレグロ・アッサイの演出家であった。餘りにも生き急いだ彼は、そのイストワールの余情や余韻をあえてかなぐり捨てて非情とも言うべき乾いた猛烈な速度で進行し、逆にかえってそのことが、観客に対して無上のリリシズムとあえかに夢見られた彼岸への憧憬をもたらしたのである。